雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門/森村進

久しぶりに人文系の本が読みたくなる。
そこで、ちょっと気になっていた、リバタリアニズム関連の本を図書館で借りてみた。
リバタリアニズムとは何か、という概説のさわり、ちょっと広めに俯瞰することができるような本だ。
もちろんこれで判ったような気になるのは危険だ。
だが、敢えて一言で言うなら、自由とは何かを突き詰めていくと、リバタリアニズムに帰結するような気がした。
この本の冒頭に、上手く図解でまとめられているが、経済的自由と個人的自由(人格的自由)を二軸とした平面を想定すると、政治的立場を以下の四つの典型として表している。
・保守派:経済的自由を尊重し、個人的自由を軽視する
・リベラル:経済的自由を軽視し、個人的自由を尊重する
権威主義:経済的自由も、個人的自由も軽視する
リバタリアン:経済的自由も、個人的自由も尊重する
著者は法哲学専攻ということもあり、ちょっと法学的な論調の匂いもするが、かなり読み易いと思う。
自由とはどういうことかという考察から入り、権利、裁判、政府、社会、経済と手際よく、様々な事象リバタリアンの立場から考察してゆく。
リバタリアニズム自体、様々な主張が存在していて、その辺りの違いにまで目配せが利いている。
リバタリアニズムに対する理解と興味を喚起してくれる良書だと思う。
また同時に、国家とは何か、社会とは何か、ということを考えさせられる。
そして、垂れ流される政治報道に対する視点にも役立つように思う。
政治なんて誰がやっても同じ、という悪しき通俗的ニヒリズムに対するアンチテーゼとしても読める。


自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)