いまさら山下清氏について、説明する必要も無いだろう。
この本は、山下清氏が自身の放浪の思い出を綴った本のようだ。
本文に度々登場する「式場先生」とは、精神科医の式場隆三郎氏であろう。
それにしても、山下氏の語り口は不思議だ。
何かについて語っていき、やがて疑問が生まれ、だがその疑問が解決されずに内省してしまう。
何かを主張したかったはずが、発露しきらないうちに別の話題に移ってしまっている。
だがそれは、思い出を綴っている行為そのものの動きのような気がする。
つまり、過去のエピソードを物語として再構成するのではなく、思い出を思い出すがままに語ることで、疑問が自省と移ってしまうのだろう。
あとがきによると、式場氏による校正が、だいぶ施されている様だ。
それを差し引いて想像するに、原文は意識の流れをそのままに写したような文章だったのだろう。
校正の結果、読みやすくなっているのではあるが、それ以上に、原文にはあったと思われる、進んでは止まり、曲がっては戻るような、語り口が気になる。
それはまるで、穏やかなアンドレ・ブルトンの文章のようなのではないか、と想像している。
- 作者: 山下清
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/04
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山下清氏には、全く個人的な事情で、子供の頃から親しみがある。
だが、子どもの頃から親しみがあるということは、アンビバレンツな感情をも抱かせるのだ。
その感情と感想は関係が無い。
だが、この本を読むこととは関係が無い訳ではない。