雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

忌中/車谷長吉

何か読みたくて、図書館の棚を眺めていて、再び車谷長吉氏に眼が止まった。
この本は何と言えば良いだろうか。
死を扱っているようだが、そうとも言い切れない。
解説にあるように、「純愛」を扱っているようでもあり、それだけでもない。
この本で取り上げられる死は、強姦殺人であり、一家心中であり、無理心中である。
そして、純愛は、淡い高校生の頃の思い出、片思いの思い出、自殺した叔父を思慕する人々の思い出、そして子供を殺してでも貫く夫婦愛、義兄との不倫、老いて無理心中を遂げる夫婦愛、といったものだ。
何故この本を読んだのだろう、という気持がふとよぎる。
死と純愛は対比されているわけではない。
むしろ、死の理不尽さと純愛という業の深さが描かれているのかもしれない。
いや、作者が死の理不尽さを描きたいのではなく、それを楽しむ読者のために取り上げているような気がしてくる。
作者が描きたいのは、純愛小説であり、その業の深さを知らしめるための死が演出されているのではないだろうか。
それも、より酷くて、理不尽であればあるほど、読者にとって、その純愛が際立つ、と作者が考えているような気がする。
だから、読者であるワタシは、作者によってこの本を読まされたのだ。
手に取った時点で、罠にかけられたようなものだった、と思った。


忌中 (文春文庫)

忌中 (文春文庫)