ふと思い立って、読みかえした。
結局のところ、高校生の自分は、澁澤龍彦経由で三島由紀夫を理解していたのではないか、と思った。
逆を返せば、澁澤龍彦を経由しないでは、三島由紀夫に興味は持たなかった、ということかもしれない。
いささかセンチメンタルな筆致で描かれる三島由紀夫の姿を追っていくうちに、作品=作者と勘違いをしてしまいそうになる。
観念主義的だとか、華麗なレトリックだとか、それは作品のパッケージに他ならないと思うのだが、澁澤氏はそのパッケージを破くことはしない。
むしろ、中身が何であるかを確かめるためには、包装紙を破かずには確かめることはできないし、包装紙を破くことは作品を理解したことにはならないと考えているようだ。
作品の意味するところは作者のうちにあり、作者のエピソードから作品を理解する手立てを得ようとするというやり方は、いささか古めかしく感じてしまう。
悪く言えば、澁澤氏の方法は、国語の授業的なのだと思った。
作者は何を言いたいのでしょうか?という問いを仮定し、作品を解釈するというスタイルと、さほど変わらないように感じるのだ。
澁澤龍彦というフィルターを外し、三島由紀夫をテクストとして読むこと、それが必要な気がする。
と、ここまで書いて、ふと、観念上の遊びを思いついた。
史的事実として、三島由紀夫は45歳で自決し、年下の澁澤龍彦が回想しているのがこの本なのだけれど、逆だったらどうだろうか?
もちろん、三島由紀夫が耽溺したような、ある種の確信犯的な演劇的右翼活動は、澁澤龍彦は行わなかっただろう。
だが、ユートピストとして「絶対を垣間見ん」と、サド的性的狂乱のうちに澁澤龍彦は事故死したとしたら、生き残った三島由紀夫はどのような追悼をしたのだろうか。
おそらく、このようなセンチメンタルな本は書かなかったであろう。
むしろ、その死を題材にした、俗悪な三文小説を書いたのではないだろうか。
観念と肉体の相克が、快楽の頂点に於いて肉体を滅ぼしてしまう、といったモチーフを、あえて19世紀末辺りの時代設定で戯画化して描くのではないだろうか。
もちろんそれは、何の根拠も無い単なる想像に過ぎない。
だが、そんな俗悪なポップさが三島由紀夫の小説にはあるのに、澁澤龍彦の随筆にはポップさが無いと思ったのだ。
- 作者: 渋澤龍彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1986/11/10
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書き忘れたことを追記。
三島由紀夫と安部公房の対談で、「俺には無意識は無い」と三島由紀夫が言い張っていた、という回想が出てくる。
恐らく、フロイト的な(あるいは、安部公房が話題にするならブルトン的だろうか?)意味での無意識なのだろうけれど、何もかもが意識的でなくては居れないというオブセッション自体が、三島由紀夫らしい気がする。
しかし、澁澤龍彦自身もフロイト的な意味でしか語っていないような気がするが、ユング的な集合的無意識や、ラカン的な言語化された無意識から、三島由紀夫の無意識を眺めたとしたらどうなのだろうか。