雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

飛ぶ紙/ベルナール・フォコン

ベルナール・フォコンはフランスの写真家だ。
日本版Wikiに登録されていないようなので、この本の帯に書かれているところから、抜粋しよう。
1950年南仏プロヴァンス地方のアプトに生まれ、「幼年時代を太陽と青い空とラヴェンダー畑の中で」過ごしたらしい。
1965年から1976年、つまり、高校から大学まで絵画に熱中し、1976年ソルボンヌ大学の哲学の修士課程を修了とのこと。
この本には、彼の幾つかの作品集から、抜粋されて収録されているようだ。
特徴的なのは、多数の少年のマネキン人形と、本物の少年が何人かで演出された写真である。
マネキン人形達は、夏休みのキャンプを楽しんでいる。
野に、山に、水辺に、マネキン人形達は繰り出して、ちょっと悪戯めいたことさえしている。
だが、時折、混じっている本物の少年は、つまらなそうに見える。
それはまるで、嘘臭い記憶の再生のようだ。
或いはちょっと、少年愛の匂いでもするだろうか。
写真が一瞬を切り取って永遠のものに変えてしまう方法だとしたら、このマネキン達は変わらない姿から一瞬の生を与えられたかのように振舞っているという、逆説的な写真なのだと思う。
つまりは、永遠の生を切り取るのではなく、決定的な死を写し出している。
改めて眺めているうちに、この本の後半には、マネキン達は姿を消し、何かが過ぎ去った後のような景色に炎が写されている。
写真家の中で何かが変化していたのだろうか。
夏休みはもう、永遠に終わりなのかもしれない。
炎はマネキン達が燃やされているのかもしれない。
明るい南仏プロヴァンスの景色を、不吉なものに変えてしまう、そんな写真集だと思った。


飛ぶ紙―ベルナール・フォコン写真集 (PARCO Vision CONTEMPORARY)

飛ぶ紙―ベルナール・フォコン写真集 (PARCO Vision CONTEMPORARY)