雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ボッコちゃん/星新一

ふと思い立って、星新一を図書館で借りてみる。
中学校のクラスの学級文庫にあったのを読破し、足りないのは何冊か買って読んだ。
(そういえば、吉岡先生お元気でしょうか?)
だから、高校生になる頃には既に興味を失い、持っていた何冊かも、早い頃に処分したような気がする。
ショートショートだとか、SFだとか、そんな括りでしか、星新一を理解していないのだろう。
改めて読む機会もなく、何十年か過ぎて、こうして再び手にとった。
何冊かある短編集の中でも、この本が面白かった記憶があった。
そうして読んでみると、確かにショートショートの名手であり、SF的な思考なのだ。
そうなのだった、認識に誤りはなく、正しかったのだ。
そしてあっという間に読み終えた。
夢中になって読み耽ったのは、何故だったんだろう。
物語として、明快なオチを以て終わる、そんな、ショートショートという形式だからかもしれない。
何か隠されたものを掘り起こそうというのでもなく、すっぱりと終わる。
人生の意味とか、本当の自分とか、そんな泥沼の思考とは無縁な物語が、心地よかったのかもしれない。
だが、それが故に思春期の泥沼の思考に捉えられると、物足りなく思って、遠ざかって行ったのかもしれない。
そう思うと、あの頃以前でもなく、以後でもない、稀有な時期に読み得たのかもしれないと思った。


ボッコちゃん (新潮文庫)

ボッコちゃん (新潮文庫)