そういえば、一時期は「資本論」も全巻持っていたっけ。
だが、読み通した覚えは無い。
この本も読んだのか読んでいないのか定かではない。
たぶん、柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」辺りでも読んで、買ったのかもしれない。
ともあれ、読み返してみたのだけれど、陰鬱さばかりが目に付いてしまう。
どうにか読み違えようとするのだけれど、断定と偏見の積み重ねで、読み通すどころか反発し、眠くさえなる。
そうだ、ルサンチマンと言う言葉が相応しい。
労働者と資本家がいて、労働者は自分がやりたくも無い仕事を、生活のためにやる。
過剰な労働力の提供は、市場価格を引き下げる。
価格が引き下がると、資本家は自らの利益確保のために、労働者に支払うべき賃金を引き下げる。
生きてゆくために働いているのに、働けば働くほどに生活が苦しくなる。
何だかおかしな理屈だ。
前提として、画一的な労働者の、いわば「群れ」とでも言いたげな視線が窺える。
だが、その後、私有財産、価値交換、分業となると、それぞれの人間は別の価値を持ち、互いの余剰を交換し合う。
余剰を交換するなんていうことがあるだろうか?
ある人にとっての余剰、すなわち無価値なものが、別の人にとっての必要財と言うことか?
例えば、医療は医者にとって余剰だから市場に提供し、それを必要とする人間が買うのだろうか?
例えば、映画は余剰なのだろうか?
何かがおかしい。
マルクスの射程にあるのは、第一次産業、第二次産業までだろう。
だが、そんなマルクスでさえ、貨幣の魅力には抗えないようだ。
貨幣の章では詩まで引用し、愛さえ語ってしまう。
マルクスの理論には全くついていけないが、そんなマルクスをもってして愛を語らしめる「貨幣」なる存在が気になる。
栗本慎一郎やバタイユを持ち出すまでも無く、そこには呪術的な魅力があることを、マルクスは語らずに語っているようだ。
- 作者: マルクス,城塚登,田中吉六
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1964/03/16
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (46件) を見る
- 作者: マルクス,長谷川宏
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/06/10
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 47回
- この商品を含むブログ (25件) を見る