雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

マイトレイ/ミルチャ・エリアーデ

結局のところ、恋とは何なのかは解っちゃいないというのが、最近判って来たような気がする。
それは恋愛論なんて語るべき言葉も持たないし、恋愛小説を読んでみたって、それほど心動かされるものでもないようだ。
それが他人の恋だからかというと、決定的な何かが違う。
マルセル・デュシャンが墓碑銘に刻んだ「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉の持つ死との距離感と同じものが、恋物語との間にはあるような気がしている。
この本は、若き日のエリアーデが留学中のインドにて、恩師ダスグプタの長女マイトレイとの恋愛事件にまつわる告白、とでも纏めようか。
当時を回想し、日記やメモから引用するその言葉に、何を見出せばいいのだろうか。
読むほどに「恋は盲目」という言葉を思い浮かべてしまうが、エリアーデ自身もそう思いつつ回想し、それでも綴る恋物語との間には、やはり決定的に隔てている何か横たわっている。
だが、恋は破れ、ダスグプタ(物語の中では、シン氏)に追放される辺りから、急にリアリティが増し出す。
失意のままに街を彷徨い、インドを放浪する姿の方がリアルに見える。
だが、新たな女性と出会ったり、マイトレイの消息を聞かされる辺りは、いささか出来過ぎているだろう。
ともあれ、マイトレイという女性との出会いと恋愛、そして別れという一連の出来事に対して、物語の読者として没入できないのだから、この小説は失敗なのではないだろうか、と思ってしまう。
いやそうではなく、恋愛小説の読み手としてしくじっているのだろう。

マイトレイ

マイトレイ

池澤夏樹氏の個人世界文学全集にも収録されたらしい。