会社帰りに衝動買いをした。
東浩紀氏の著作を読むのは、笠井潔氏との往復書簡以来である。
一般的な話として、こういった本を手に取るということは、原発反対という態度に繋がるように見えるかもしれない。
だがこの本は、反対の立場で書かれている本ではない。
チェルノブイリという場所、原発事故という出来事、そしてそれからウクライナという国、プリピャチという街がどういう経緯を辿っているのか、ということがレポートされる。
そしてもうひとつが、ダークツーリズムとは何であり、どういう意義があるのか、という啓蒙書でもある。
それは物見遊山の観光旅行という風情ではないが、原発反対をアジテートするためのプロパガンダという事でもない。
写し取られたチェルノブイリの自然と、そこで朽ちてゆく原発ムラ(日本のそれとは異なり、近代的な都市ではあるのだけれど)の建物、そして期限の無い廃炉作業中の原発は、どんな文章よりも生々しい。
そして1970年代に作られた原発プラント内部、とりわけ近未来風の制御室は何と言ったらいいのか。
いつか見た未来の光景であり、それが朽ちていく姿すら、いつか見た光景となっている。
テクノロジーの発達による夢のような未来も、それが破綻してしまうダークな未来も、どちらも既視感を感じるという世界に今いるのだ。
そして、ウクライナの人々へのインタビューもとても良い。
口角に泡を吹くようなアジテートはなく、冷静に現実の困難さに立ち向かっている姿が良く伝わってくる。
この本を読んで言える事は、反対であれ容認であれ、原発について、物事はそう簡単なことではないということ。
どちらの態度にせよ、解ったつもりになって、風化させてしまうのがいちばんまずい、とこの本では主張している。
同時代の記憶として、この本を読んで良かったと感じる、久しぶりの本だった。
さまざまなことを考えさせられるが、ウクライナ国立チェルノブイリ博物館の副館長アンナ・コロレーヴスカ氏のインタビューのなかで、原発に対する態度を聞かれ、反対したからといって課題は解決しない、そう簡単に結論を出せる問題ではないと答えた後、引用した言葉が心に響いた。
「悲しみには際限があるが、憂慮には際限がない」
感情に流されたり、悪者を仕立て上げれば解決する、という話ではないのだ。
続編は「福島第一原発観光地化計画」だそうだ。
これも手に取ってみようと思っている。
[蛇足]
ボスニア紛争の頃に出版された、「サラエボ旅行案内」を思い出した。
こちらも、旅行ガイドといった体裁で、絶望的な状況をユーモアを交えながらサラエボをリポートする本であった。
- 作者: FAMA,P3 art and enviroment
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