雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

カフカ マイナー文学のために/ドゥルーズ=ガタリ

なんて読みにくい本なんだろう、というのが、まず感想である。
ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著のうち、短いほうなのだと思うが、読みにくい本だ。
決して難解なのではないだろう。
カフカの作品を精神分析にかけて、テクストをネタに、マイナー文学、延いてはマイナー政治を語る、とでも要約してしまおう。
機械だとか、セリーだとか、鎖列だとか、新たな語法を提示しながら、その説明は最小限に省いているのも、読みにくい原因だろう。
だから、この本は一行一行味わうのではなく、雑誌を読み飛ばすように、とりあえず読み進めたほうがいい。
そうすると、カフカを解説しているのではなく、ドゥルーズ=ガタリの「マイナー」に対する概念が、カフカを引き合いに繰り出されているのがわかるだろう。
母国語ではなく外国語で作品を書くこと、ラングからの非領域化を図り逃走線を引くこと。
(こう書くと、まるで浅田彰かぶれの、時代錯誤なニューアカ信者みたいだ)
だが、なぜ「マイナー」なのか。
それは、「偉大で、革命的なのは、マイナーなものだけ」だからだ、と言っている。
つまり、この本はアジテーションであり、政治的であろうとするパンフレットなのだ。
果たして読む価値があったのかどうか、それはまだ判らない。


カフカ―マイナー文学のために (叢書・ウニベルシタス)

カフカ―マイナー文学のために (叢書・ウニベルシタス)