森鴎外を青空文庫で読む。
やはり自分は漱石の方が読みやすい。
だがそれは、鴎外の良さに気付けていないからなのだと考える。
例えばこの話は、魚玄機の業の深さのようなものが、主題の様な気がするのだけれど、それを見ている鴎外の視線が気になってしまう。
鴎外は魚玄機の業の深さをどう思ってこの話を語り出しているのか。
近代的なるものを、裏側から透かしたような、例えば寓話として唐代の中国に題材を求めたのだとも考える。
それは、漱石が近代的なるものを江戸との連続性/不連続性から描くのとは、どう違うのか。
いや、鴎外をそう読んでいたのではない。
鴎外の小説は退屈だ。
その物語が抑制されている。
魚玄機の動きはどうか。
あたかも生きているかのように描かれているだろうか。
やはり、鴎外の視線が気になる。
物語を見つめている視線。
魚玄機の生き方に何か感想めいたものを加えようとせず、ただ描き出すための視線がそこには強烈に残っているように思った。
だから、鴎外の姿は見えてこない。
それが退屈さの正体だろうか。
あるいは、理解できていないことの証明だろうか。
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