ダダは何となく通過した。
トリスタン・ツァラ、ハンス・アルプ、クルト・シュビッタース、フランシス・ピカビアといった名前ぐらいは知っている。
だが、あまり興味を引かなかった。
とは言え、若き日の赤瀬川原平が活動していたハイレッドセンターのネオ・ダダには興味があった。
マン・レイ、マルセル・デュシャン、マックス・エルンストといった辺りは、シュルレアリスムと被るので知っている。
改めてダダとは何だったのか、を確認しようと思った。
そうして読んでみると、シュルレアリスムよりダダの方が面白い。
とは言え、この場合のシュルレアリスムとは「アンドレ・ブルトンのシュルレアリスム」と言った方が良いだろう。
ダダは自由であり、シュルレアリスムは神秘主義なのだ。
既存の美術に対する異議申し立てが、ダダなのだと思った。
美しいものとは何か、芸術とは何かへの問いかけであり、現代美術のスタートであろう。
当然ながら、ダダによる異議申し立てが無ければ、シュルレアリスムは存在し得ない。
ダダは異議申し立てを行ったが、シュルレアリスムは別の文脈を提示したと思う。
無意識や夢という文脈を挿入するで、いま見えている現実を塗り変えてしまうことが、シュルレアリスムなのだと思う。
眼に見えるものが唯一のものではない、という文脈は、神秘主義との相似形だろう。
惜しむらくはブルトンの教条主義的な宣言と除名の繰り返しは唯一にして最大の汚点だろうと思う。
