雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

東京日記/リチャード・ブローティガン

久しぶりに詩を読む。
詩は黙読するものではなく、音読すべきものだと言ってたのは誰だったっけ?
でも、英語で書かれた詩を、日本語で読むときに、読者は何を読んでいるのだろう。
原詩にある言葉の響きとかは失われているだろう。
逆のこともあって、日本語ではない俳句をどう読んだらいいのか。
日本語の俳句だけが俳句だと言うのは簡単だけれど、俳句に何かを感じている世界の人々が作った詩を魅力を上手く言えない。
詩を読むということは、音読しなくても良いのだと、私は考えている。
詩の中には言葉ではない詩のエッセンスのようなものがあって、それは言語の違いがあっても伝わるのではないだろうか。
そう考えることには、一つの神秘主義の萌芽と、退廃的な思考停止の匂いがする。
自分自身で肯定と否定の入り混じった居心地の悪いままに言葉を吐き出している。
さて。
この本はブローティガンが、1976年に東京に滞在した時に、日々綴った詩の断片を纏めている。
新宿、渋谷、銀座の路地を彷徨う詩人の姿が浮かんでくる。
とても良い詩集だ。
観光ではなく、東京の街中を彷徨ってみると、彼の見た景色が見えるかもしれない。


東京日記―リチャード・ブローティガン詩集

東京日記―リチャード・ブローティガン詩集