雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

父・こんなこと/幸田文

幸田文幸田露伴の次女である。

従ってこの「父」とは幸田露伴のことである。

幸田露伴の臨終記ともいえる表題作、その亡き父の思い出を語る随筆である。

幸田文の語り口は、東京の下町の喋りの息遣いが感じられる。

たぶん、言葉使いだけじゃなく、その背後にある物の見方のようなものが、自分の祖父母や親戚、亡き父に通じるものがあるような気がする。

そして、語られる対象の幸田露伴にはまさに、明治生まれの祖父の面影に通じるものがある。

語られる言葉、語られる人となり、それらが個人の記憶や印象と結びついてしまう。

そしてこの感覚は、いずれ誰にも分からなくなる。

その頃には、幸田文はまだ読まれているのだろうか。

SNSで垂れ流されていく言葉と、そこに標準語が移ろってゆくうちに、東京の下町言葉は霧散してしまうだろう。

 

父・こんなこと (新潮文庫)

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