幸田文の短編小説集である。
随筆での語りが小説世界では制約になって、どの登場人物も作者の分身となってしまうのではないか、という漠とした不安のようなものがあったのだが、それは杞憂だった。
表題作の「台所のおと」に描かれる料理人を始め、様々な人々が描かれるが、確かに作者の語りの延長線には居るのだけれど、きちんとキャラクターが立っている。
しかしそれもこれも、幸田文は幸田露伴の娘である、というレッテルで作品を眺めている、浅学な読者の一方的な思い込みに過ぎない。
その思い込みを剥がしてみたところで、これらの小説の世界観は、若い頃の自分にはきっと理解できなかったと思う。
保坂和志の「カンバセーション・ピース」には反応できても、この作品集までの距離には力量が届かない。
日常の小説化というか、ホームドラマ的な物語というか、うまく当てはまる言い方が見当たらないが、単純ではない機微な物語のようなものだと思った。
そう思うと、歳を取ったことで、手に取れる作品が増えたのかもしれない。
これらの小説を映像として観たい気もする。
だが、下手に演じると白々しくなりそうな気もするし、俳優たちの演技力も相当必要かもしれない。