とても面白かった。
1970年の大阪万博を起点に、1945年の広島爆心地、そして幻の皇紀2600年万博に言及し、美意識の根底にある「未来」という幻想、そして「環境」という考え、万博と戦争をつなぐ様々な要素を巡っている。
この本を要約するのは難しい。
登場する人物も膨大だが、磯崎新、浅田孝、糸井貫二が記憶に残る。
夢の未来として作られた万博が、生まれたとたんに廃墟になっていくという。
人類の進歩と調和というキーワードは、幻の皇紀2600年万博、満州国の建国理念に繋がっており、万博の企画に携わった人々が、WW2の影響を受けていることを指摘する。
国家事業としての万博とは国家が行う戦争と等価である、というテーゼもまた印象的だ。
また、前衛芸術の動きのトレースもまた面白い。
万博と言えば岡本太郎作の太陽の塔、というイメージがあると思うが、万博の基本構想を丁寧にトレースしていくと、これが異質で異様なものが際立ってくる。
また、太陽の塔の前を裸で走り抜けた糸井貫二、同時代の「もの派」も記憶に残った。
戦争が、自身の記憶の中に存在する過去から、歴史の中の出来事としての過去へと、強制的にシフトされて、未来を夢見なければいけなくなった途端、未来に対するイメージは廃墟になって、戦争による焦土へと円環するのだろう。
日本に現われる25年周期説は面白半分のコンセプトだと思うが、1945年の原爆投下の25年後に大阪万博、その25年後は1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件で、再び焦土が出現した。
では、その25年後の2020年には何があったかというと、幻の東京オリンピック開催とCOVID-19による都市封鎖であった。
ネットの中では大勢の人が発言し、ビジネスも動いているのに、街には誰もいないという世界が滅んだ後のような光景ではなかったか。
そして、再び大阪万博が開催されようとしているが、そこに込められている不穏なものは一体何なのか気になる。
そして2045年、もしまだ生きていて、意識がはっきりしていたら、どんな世界を見ることができるのだろうか。