初めて読んだのは高校生の頃だったと記憶している。
奢霸都館の洋書の雰囲気のする装丁の本だった。
何故この本に辿り着いたのかは覚えていない。
澁澤龍彦経由かもしれないが、まだこの頃はそこまで読み漁ってはいなかったはずである。
それはともかく。
アラゴンはシュルレアリスム運動の初期の頃には参加していたが、共産党へ入党、社会主義リアリズムへ転向し、離反してゆく。
この本はまだシュルレアリストとして名を連ねていた1928年にアルベール・ド・ルティジーの名で地下出版された。
内容は散文詩とポルノ小説と自動記述の混交のような、物語があるようで
なにもかも物語に仕上げるのがブルジョアの癖だ。
などと言い切っている。
ではある種のメタ小説なのか、と言うとそうでは無い。
淫売宿での出来事、イレーヌの祖父、母から連なる農家のちょっとした歴史、そして連想ゲームか自動記述のような散文詩、それらが並べられている様子は、シュルレアリスムというより、ダダイズムのように思った。
物語の否定、19世紀的な教養小説の拒否、詩的抒情の拒否など、それまで良しとされていた価値観を否定する物語なのではないだろうか。
高校生の自分がこれを読んで何と思ったのかもう覚えていないが、アラゴンについてはこの1冊しか読んでいないことから、あまり食指は動かなかったように思った。