村上龍の「すべての男は消耗品である」というエッセイを読んだのは、たしか大学生の頃で、後から振り返ってみればバブル末期の頃だった。
文化系サークルに属していると本を読む人間は多くて、酔っ払ったときのネタ話の一つに村上春樹と村上龍のどっちが好みかという話があった。
勝手な偏見で言うと、ちょっとお洒落な意識高い系の友達たちは村上春樹、ちょっと男臭くてヒッピーカルチャーの残滓に共感するような友達たちは村上龍、といった感じがした。
もちろんみんなどちらも読んでいるので、あそこが良いとかあそこが嫌だとか、酔っ払って煙草をふかしながら部室で話していた。
文学部の男くさい感じのリュウ派の友達が「すべての男は消耗品である」を薦めてくれた。
(彼の彼女は、背筋の伸びた着物が似合いそうな女性だったっけ)
思い出話はこれくらいにして、この本はその「すべての男は消耗品である」のエッセイの2013~2015年頃のものである。
学生の頃読んだ連載開始の頃の内容はすっかり忘れているし、村上龍の熱心な読者でも無いけれど、あぁ、そういえばこんな感じだったっけとどこか懐かしい感じがした。
およそ10年前で62歳と言っているので、今は70歳を越えているのだろうけれど、今の自分より年上の男が何を考えているのか、という事に関して言えば、わりと等身大の内容だと思った。
老いのこと、若者のこと、興味が薄れていくこと、先が見えないこと、様々な切り口で何かを語ろうとしても困難な状況に入り込んでしまう困難さ、そういったことが村上龍という60代の男の口から語られていることには、(10年前ではあるが)ある種のリアルがある。
もちろん、なるほどと思うこともあれば、それは違うんじゃないかと思うこともあるが、どちらにしてもリアルさとは関係が無い。
ではリアルな同年代の友達が、村上龍のような話をするかと言えば、そうでは無い。
リアルな人間がリアルを持ち合わせているとは限らないし、この難しさについては今は語ることができない。
最後に、なぜこの本を手に取ったかと言えば、ザ・バンドの「The Last Waltz」と関係があるのかと思ったら、全然関係が無かった。