初めて読んだのは10代の頃だろう。
家にある新潮文庫版は昭和57年41刷440円。
新刊で買ったのか、古本屋で買ったのか、もう覚えていない。
シュルレアリスムを手掛かりに、フランス文学を辿ってボードレールを手にしたという事だろう。
中学でも高校でも、授業でボードレールの名前が出てきた記憶がない。
そもそも文学史なんて、教わっていないような気がする。
それでも「月下の一群」や「海潮音」を知っているのは何故だろう。
ともあれ10代の頃に詩なんぞ読んでいるのは、80's当時でもアナクロニズムであり、シュルレアリスムやダダイズムにかぶれているなんて、遅れてきたヒッピーかよという精神性だったのではないだろうか。
今のようにインターネットも無いから、本の注釈や文芸評論から読むべき本に当たりをつけて、昼飯代を削っては古本屋をめぐって1冊50円の文庫本を漁っていた。
前置きが長くなってしまったが、この堀口大学訳の「悪の華」も、もしかするとそうやって手に入れた古本だったのではないかと思った。
というのは、旧仮名遣いの細かい活字だったからだ。
10代の自分は、いかにも古めかしいこのボードレールの詩集を読んでどう思ったのだろうか。
おそらく、わけも分からずただ読み耽っていたような気がする。
というのは、大人になった今読んでも、古めかしい表現で、詩の世界にのめり込めなかった。
とはいえ、堀口大学の名訳ではあるのだろうと思う。
もし大学に進学するときに仏文科を選んでいたら、この「悪の華」を原文で読んでいただろうか。
吉本隆明は必ずしも原文にあたる必要はないと言っていたが、堀口大学訳でフランス詩の世界に分け入ったことは、ある種のフィルターがかかってしまっているかもしれないとも思ったのだった。