雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ひとり暮らし/谷川俊太郎

買ったのはだいぶ前だった気がするが、もう覚えていない。

何度も読み返してしまう一冊である。

谷川俊太郎の詩は教科書にも登場してたし、角川文庫の自選詩集や、新潮文庫の「夜のミッキーマウス」も読んでいるのだけれど、いまひとつ分かっていないような気がする。

分かっていないというのは、意味が分かっていない、ということではなくて、味わい方が分かっていない、ということに近いかもしれない。

では随筆はどうかというと、だいぶ自分とはかけ離れた人だな、という印象になるのだけれど、それは有名な詩人と一般人の距離の話では無くて、カテゴリーとして全く異なる所にいるような気がする。

どちらがどうということではなく、違うということを実感するような印象がある。

随筆でも、幸田文向田邦子吉本隆明といった人たちの随筆は、時代も場所も遠く離れているけれどある種の近さのようなものを感じる瞬間がある。

それが、谷川俊太郎の随筆の場合は、決定的な違いのようなものを感じてしまう。

それはもしかすると、詩が分かっていないということなのかもしれない。