海野十三の全集をちまちまと、紙の本の合間に読んでいる。
海野十三はSFと言うより、空想科学小説と言った方が相応しい感じがするし、ジュブナイルに近いような印象がある。
そんな作品たちに交じって、第二次世界大戦末期から戦後混乱期の日記が収められていた。
通常の全集であれば、小説と随筆と未刊行作品、のように分冊されるものなのだろうが、「う」で格納されている。
電子書籍版の全集は安く手に入るのは有り難いのだけれど、五十音順に格納されているので、なかなか作家の全体像が掴みにくい。
Wikipediaの記事の斜め読み程度で浅薄な考察だが、理系の大学を卒業し、技術職で身を立てていて、小説は余技のように見受けられる。
この「敗戦日記」は、発表を目的として書かれた「作品」では無く、小説よりも私的な心情の吐露があるような気がした。
吐露される内容の是非を問うというより、戦時下の東京で暮らす一男性の生活記録のような生々しさがあるように思った。
戦争を遂行する政府、軍部に賛同し、繰り返される空襲に逃げまどい、来るべき本土決戦に向けて家族の安全を心配する。
B29の飛行経路から空襲被害を予測し、マスコミから発表される双方の被害を集計し、日本の勝利を信じ、連合国側の被害にほくそ笑む。
日記の記述から浮かび上がるそういった姿は、海野十三が戦争に協力的だという証左ではなく、当時の国民のよくある姿の一端なのではないかと思った。
誰か偉い人が勝手に始めた戦争にみんなが巻き込まれて、言いたいことも言えずに苦しい思いをした、というプロパガンダにありそうな国民なんて実在しなくて、考えの濃淡はあるにせよ、世間の戦争遂行の流れに賛成し、自分の生活の苦しさの中にも楽しみを見つけようとし、隙あらばこすっからいことをしていたのじゃないだろうか。
そして敗戦の発表に自決さえも思いを巡らし、度々の喀血(結核?)を冷静に記録し、通貨切り替えと急速なインフレに混乱し、小栗虫太郎の訃報に心を痛める。
戦後の混乱期の中で、何とか生き延びようと画策していく姿もまた、リアルな気がした。
戦中戦後を通じて、特定のイデオロギーに与したり反発したりするわけでもなく、戦争遂行を時流として容認し、自分や家族の生活に気を配るという姿は、時代の距離に関係なく容易に想像しうるリアルな姿だと思う。
自分の祖父の代が明治生まれで、小野十三とほぼ同年代だ。
もうだいぶ前に亡くなってしまっており、直接意見を聞けないが、この本に描かれているような生活をしていたんじゃないかと想像する。
子供の頃の微かな記憶を辿ると、会ったことも無い伯父は南方戦線で戦死し、祖父の元には勲章が贈られたと聞いたが、いったい祖父はどんな気持ちでそれを受け取ったのだろう。
この本は、何らかのイデオロギーや思想を背景に総括される先の戦争の記録より、身近な記録のように思った。
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