雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

嵐が丘/エミリー・ブロンテ

名作と言われる小説を読んでいないのは、教養が足りない証拠じゃないか、と言われてもぐうの音も出ないので、読んでみるかと思ったのはもう何ヶ月前だか忘れた。

そんな事言われてもいないし、言われたってへらへら誤魔化すだけだと思うけど、ようやく読み終えた。

読みにくいのは、物語の世界にのめり込むことができないからだとは思う。

19世紀のイギリスの片田舎を舞台で、主人公がヒースクリフが標的とするリントン家の家政婦から、リントン家とヒースクリフの攻防を聞く体なのだけれど、名前だったり、愛称だったり、苗字だったりと語りの中で親密さが変化しているのだろうけれど、それもまた読みにくい。

実は遥か昔だけど、ルイス・ブニュエルがメキシコでこの「嵐が丘」の映画を撮っていて、それは観たことがある。

なんだか激情に任せて、バタバタとしたドラマだった記憶があるが、そういう小説だったのだなと再認識した。

もし、この小説にのめり込めるとしたら、小説家を目指している人ぐらいじゃないだろうか、と思うのは読み手の想像力不足に他ならない。