雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

新編「昭和二十年」東京地図/西井一夫、平嶋彰彦

いつ頃買ったのかもう覚えていない。

背表紙は日焼けで色褪せてるし、奥付を見ると1992年の初版だった。

20代の自分は、何を思ってこの本を買ったのか、もう覚えていない。

タイトルの通り、昭和20年前後の文章や新聞記事などから、当時の東京の姿、人々の姿を描いている。

序によると

手元に昭和二十一年に出された戦災焼失地域表示の付いた「東京都三十五区区分地図帖」がある。失ったものとかろうじて残ったものの間を四十年を経て、この地図を持って歩いて見る。

とある。

昭和60年(1985年)に40年前の地図を持って取材したようだ。

バブル直前の東京の街には、高度経済成長を潜り抜けた戦後の名残のようなものがまだあったということが、平嶋彰彦氏の写真から伺える。

赤瀬川原平の「超芸術トマソン」もまた、同時期の東京の姿を捉えていたことを思い出すが、いったんその話は別のことだ。

戦争末期の空襲の中で文学者たちが残した日記、スキャンダラスな事件、そして戦後混乱期の事件などが取り上げられる。

些か晦渋な文章で、ちょっと左寄りなのかなぁ、と思いなかなか読み進まなかったが、次第に慣れた。

この本を読むことは、自分が生まれる前、親たち、祖父母たちが暮らしていた東京という町がどんな姿をしていたのか、を探ることだったり、子供の頃の自分の記憶の中に微かに残っている戦後の名残のような景色を検証することなのかもしれない。

つまり、この本を読むことは、その内容がどうであるかよりも、もの凄く私的な体験なのかもしれない。

そしてノスタルジーに背中からじわじわと食われ、気がついた時には飲み込まれていたようだ。

 

もう一つ、書いておきたいことがあった。

東京の小学校では、東京の歴史は小学校で習うのだが、この本に出てくるような話は出てこない。

例えば、関東大震災の亀戸事件や、戦後の渋谷事件、東京の被差別集落の話は、自分の親世代からは、無邪気であからさまな差別言葉と共に語られたものだったが、学校では教えてくれるものではない。

そういった東京のダークサイドの話は、たぶん自分の世代で失われると共に、町の中の痕跡も再開発によって消されてゆく。(いや大半は既に消された。)

それらを残しておくことも、記憶しておくことも、何の意味があるのかは分からないが、遥か江戸時代から繰り返してきたことのような気もする。