講談社学術文庫で手の出ない分厚い本のひとつが「パル判決書」で、存在は知っていても読もうとは思わなかった。(今は分冊されている?)
読んだことはなくても、極東軍事裁判(東京裁判、どっちも通称?)でA級戦犯の無罪を主張したインドの判事がいて、その判決書が本になっている、というぐらいは知っている。
たぶん、現代史か政経の授業で、聞きかじったのだろう。
図書館の棚をぶらぶら見てて、なぜかこの本が気になった。
この本は、その判決についての解説書を書いた中島岳志に、西部邁が対談を申し入れた、という成り立ちのようだ。
インドの法学者で、極東軍事裁判判事を担当したパールの人となり、思想なり、判決の趣旨を解説しながら、現代日本の保守論客、革新論客の両側への批判を放っている。
裁判に於いて拠って立つべき法学的立場は、罪刑法定主義であり、法に規定の無い罪を問うことはできず、また行為がなされた時点の法に依るべきであり、遡及適用は好ましくない、というのが基本にある。
ところが極東軍事裁判に於いて、この近代法学の原理原則が十分に守られておらず、戦犯らに罪を問うことは刑事法的に問うことができないという主張と、第二次世界大戦を帝国主義国家間の闘争として捉え、戦争の道義的責任は日本だけでなくアメリカ側にもあると主張している、ということらしい。
つまり判決書が法的責任を判断する文書を逸脱し、政治的意図をもって書かれていることを読み解き、また日本における判決書の評価において、保守的立場と革新的立場がねじれた状態にあることに批判が及ぶ。
と、要約してみたところで、特に興味のある話でもない。
西部邁の口の悪いのは面白かった。
ただ、大学の講義で聞いた、罪刑法定主義、長尾龍一、ハンス・ケルゼン、といった記憶が呼び起された。
そうえば、法哲学や刑法論は、真面目に出席していたのを思い出した。
