雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

差別はたいてい悪意のない人がする/キム・ジヘ

ビジネス関係のサイトでお勧めされていたので、図書館で借りてみた。

韓国の本を読むのはこれが初めてかもしれない。

差別と言う事象はどういうメカニズムで起きるのか、ということを丁寧に論じている。

悪意を持って差別が行われるだけでなく、一見すると被害者側を擁護するような言説や、公平な立場で裁定を下そうとする言説もまた、差別が行われているという。

それは、差別する側が、差別される側に対して、自らが特権を有しているということに無自覚であるため、差別される側に疎外感や劣等感を引き起こさせて、その差別的発言や行動を指摘すると「そんなつもりではなかった」という答えが出てくる。

差別しようという悪意ではなく、自らの特権的な立場に無自覚であることを下敷きとした何気ない(と本人は思っている)言葉で、差別が発生している。

この考えを突き詰めてしまうと、たぶん何も言えなくなるし、突き詰めることは差別という問題の解決ではなく、回避しているだけである一方で、何が差別にあたるのかという基準は絶えず変動するから、回避すら困難な問題なのだろう。

この本では、その構造を明らかにするだけではなく、様々な事例やエピソードを引きながら論じていて、非常に解り易かった。

その中でも印象に残ったのは、笑いにおける差別の話であった。

黒人や障碍者をネタにした笑いを分析し、そこには自分たちの優位さ(それもまた根拠もない思い込みなのだけれど)を満足させている、という説明は腑に落ちた。

自分が所属しない側の集団に対する優位さの誇示に満足した笑いなのだという。

ドリフターズ障碍者をネタにした笑い、毒蝮三太夫の老人をネタにした笑い、今でもあるドッキリ番組の笑い、子供の頃からそういうネタで、ゲラゲラ笑う気持ちが全く理解できなかったのだけれど、ようやく理解できたような気がする。

共感はできないけれど。