平家物語の中でも、平将門の乱の話は何度か登場していた。
どのような社会集団に、平家物語が広がっていたのか、不勉強で分かっていないけれど、発生から数百年経っても、直接関わりのある公家社会、武家社会に相応のインパクトがあった出来事に違いない。
千年以上経ってもなお祟る平将門という人物、そして東国を制圧して新皇を僭称した反乱とは何だったのかを、文学、地学、武具史、環境史、民俗学など様々な角度から語っている本である。
歴史上の平将門という人物、そして平貞盛、藤原秀郷に討たれるまでの争乱、関東各地に広がっている平将門伝説は、幾重にも重なった話でありそれを丹念に読み解いていく。
平将門の乱自体は、平氏の親族内の争乱が発端であり、むしろ平将門は千葉、茨城近辺の豪族間の争議の調停者でもあったりしたようだが、朝廷の末端である国司との対立、争議により朝敵と見做されたようだ。
京都、奈良から日本各地へ国司を送り支配している大和朝廷の力は、関東においてはまだまだ盤石とは言えず、地元の豪族達との関係も微妙なバランスであったのだろう。
その背景には、霞ヶ浦、北浦、印旛沼、手賀沼の範囲に広がっていた「香取内海」とでも言うべき内海の世界があり、その香取内海を望む立地の香取神宮、鹿島神宮は海上交通に重要な役割があったようだ。
また、実際の争乱の後、将門は鉄身であったと「太平記」で書かれたり、有名な首塚伝説、七人の影武者、など都市伝説化していくのもさらっと触れているが、もっと掘ると面白そうだ。
ちなみに千代田区大手町の首塚は、江戸時代には人も訪れないほど荒廃していたが、明治政府が池を埋めたり、関東大震災やGHQが更地にしようとするたびに怪異が発生したことで、クローズアップされた比較的新しい祟りらしい。
千年を超えてなお祟る超自然的な存在を、神田明神を始め平将門を慕う心情は、関東の町民、農民が共通して持っている意識下の古層なのだろう。
将門記を取っ掛かりに、10世紀の関東平野の姿を想像するなかなか面白い本であった。
