本当は電子書籍版の全集で読んだのだけれど、そのことをいちいち言うのもどうかと思って、これからは気になったものだけ取り上げようかと思う。
「鍵」は何度も映画化もされているから、有名な作品だろう。
読まれないように小細工をしながら、読まれることを前提に日記を書き、木村という第三者を触媒に、互いの欲望を探り合う夫婦の話。
互いの日記で構成され、繰り出されてくる谷崎の言葉は、どこまでも下世話だ。
秘密めいた倒錯した愉しみを描く谷崎の言葉のなんと活き活きとしている事か。
本当は電子書籍版の全集で読んだのだけれど、そのことをいちいち言うのもどうかと思って、これからは気になったものだけ取り上げようかと思う。
「鍵」は何度も映画化もされているから、有名な作品だろう。
読まれないように小細工をしながら、読まれることを前提に日記を書き、木村という第三者を触媒に、互いの欲望を探り合う夫婦の話。
互いの日記で構成され、繰り出されてくる谷崎の言葉は、どこまでも下世話だ。
秘密めいた倒錯した愉しみを描く谷崎の言葉のなんと活き活きとしている事か。
何だか向田邦子が気になる。
たぶん同年代に近くなった。
向田邦子のエッセイに、親近感のようなものを覚えているような気がする。
何とはないようなことなのだが、それでも読ませる文章だと思う。
内容ではなく(とは言えゼロではないが)書きっぷりで読ませるというのはやはりプロのテクニックなのだと思うが、そこに至る人間としての深みのようなものがあるに違いない。
それはそれまでの経験だったり、普段からの思慮だったりするのだろう。
つまりエッセイに書けるだけの経験を積んでいる結果なのだろうと思うと、一方で自分はどうなのかと思う。
書き手と読み手の距離が近くなってきたからこそ、書いている文章というより、その背後の書き手が気になる。
もちろん同じであるわけもなく、違うからこそ読み甲斐がある。
読み甲斐があるからこそ、焦燥感にも似た感じがする。
冲方丁が気になって、もう一冊借りてきた。
この前のはエッセイのようなものだったので、時代小説かSFか。
だがいきなり長編世界に飛び込むのは気が引けたので、短編集に手を出した。
だがこの選択は、結果的には失敗だった。
この本はマルドゥックシリーズの各長編のインテルメッツォ的な位置にあって、物語背景は長編に依存している。
だから、物語に入り込めず、また消化不良な終わり方のように見えてしまう。
マルドゥック・フラグメンツ (ハヤカワ文庫 JA ウ 1-11)
この本もまた図書館で借りた。
面白い?面白いだろうか?
星製薬の盛衰を描いているとも言えるし、星一氏と明治日本官僚の攻防を描いているとも言える。
判官贔屓というと失礼だが手放しに、官僚は腐っている、星氏かわいそう、と言うのは間違っているような気がする。
あらゆる組織は生まれた瞬間から腐り始めるのであって、そのことを言い立てて正義のナイフを振りかざすのは、子供なのか、何か悪意があってのことと思った方がいい。
これは現実によく似た寓話であり、腐った組織と渡り合うためにはどうすべきなのか、というビジネス書として読んでみるのが良いだろうと思った。
もっともそんなことを思って読んで楽しいはずは無い。
この本もまた図書館で借りた。
というか、何ヶ月も本を読んでいないという状況はどうなのか。
もう、自分は本というメディアと決別するのだろうか。
と、そんなことを考える訳も無く、図書館で目についた本を借りてみた。
名前は見覚えがある。
というか、図書館に文庫で入っているということは、推して知るべし。
実際のところ、面白いのであった。
泣けなかったけれど。
思い出したのは、ポール・オースターの「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」である。
そう思うと、物語そのものがリミックスな時代なのかもしれない。
もともとの連載の途中で東日本大震災があったとのことで、そのこと自体も語られる。
そして、作者名を「うぶかたとう」であることを、この本で初めて知ったのであった。