雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

男の作法/池波正太郎

20代の頃は、池波正太郎なんて、一生読まないだろうと思っていたが、あれから月日が流れて、ついに買って読んでしまうことになるとは、自分の見通しの甘さに苦笑せざるを得ないのだが、酔っぱらった勢いで購入したと一縷の言い訳を残しておきたい。

どうやら晩年の頃の本のようで、編集者からの質問に答えて口述筆記したような内容で、食べ物やら女性のことやら話はとりとめがない。

食べ物に関する蘊蓄を語るのだけれど、どこかに逃げの言い訳がましい言葉が付け加えられている。

そばに関する蘊蓄も、鰻に関する蘊蓄も、すき焼きに関する蘊蓄も、「そうは言っても…」という、どこかの誰かに対する目くばせのようなものが、いささか蛇足のように見えてしまう。

あるいは、口述筆記だから、あまり推敲せずに言ってしまった言葉の回収なのかもしれない。

年を取るとは、断言をしなくなることなのかもしれない、なんてことを思ってしまう。

ただ、「死」については、迷いなく正鵠を得ているように思えた。

20代の頃の自分も、これは同意せざるを得なかっただろう。