雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

死んでたまるか/団鬼六

団鬼六の作品を読んだことはないが、昭和を代表するポルノ作家の一人で、SM物が有名なことまでは知っている。

もしかすると、中間小説雑誌のようなもので、短編ぐらいは読んだことがあるかもしれない。

大量のポルノ小説を書き続けられる想像力の源泉は、人としての来歴にあるのか、作家自らが語る言葉に何かあるのだろうかと期待してしまう。

思い出語りではあるものの、人生の転機となった出来事とその時の年齢が語られる。

それは将棋であったり、食べ物の話だったり、およそポルノ小説的な出来事はない。

小説世界に作家自身を溶け込ませるようなことは、小説家はしないのだろう。

そんな当たり前のことはともかく、終戦時に中学生だった団鬼六という人物の昭和史としても、なかなか面白い。

そして、同じ年齢の頃の自分と重ね合わせて、何を思い考えていたのかをなぞらえてみるのも面白い。

あとがきによると、晩年はポルノ小説の断筆宣言をし、エッセイのみ書いていたようだ。

他にも読んでみたい。

生きるとは、自分の物語をつくること/小川洋子、河合隼雄

なんとなく手に取ってみた。

作家の小川洋子と臨床心理学者の河合隼雄の対談である。

河合隼雄の逝去により、なんとなく尻切れトンボな印象がしてしまう対談である。

「博士の愛した数式」の映画の話、箱庭療法の話、といった話題を巡って、個人的な物語について話が及ぶ。

この対話で二人は、人は現実の出来事に対して物語を紡ぐことで乗り越えていけるという認識を語り合っているのだけれども、それにはちょっと疑問が残る。

出来事を物語にすることは、乗り越えることと同じではない。

いくら物語を紡いだとしても、掬い切れない澱のようなものが残るのではないだろうか。

その澱のようなものが何であるのか、その先を考え続ける、そっちの方が重要な気がする。

もしかすると対話が続いたらそういう話が出たのかもしれない、とふと思い当たるが、人生とは物語を紡ぐというメタレベルの物語に陥っている可能性も否定しきれない。

どちらにしても、ちょっと物足りなさが残ってしまう本であった。

ランゲルハンス島の午後/村上春樹、安西水丸

久しぶりに図書館に寄った。

ぶらぶらと本棚の間を歩いて、読みたい本を探した。

スマホのメモアプリに書いてあるものは、あいにく貸出中だった。

医学、数学、地政学、スペイン文学、推理小説、どんなジャンルを読みたいか、自分に問いかけながら歩いてみる。

そんなわけで、久しぶりに村上春樹と安西水丸の画文集とでもいう本を手に取った。

たぶん持っているのだけれど、本棚を探すのも面倒だし、何となくいま読みたい。

それで読み返してみたが、内容は全く覚えていなかった。

見開き2ページの短いエッセイと、イラストが交互に現れる。

村上春樹のエッセイに、どことなく漂う皮肉めいた感じも、今の自分の年よりはるか昔だと思うと、ちょっと赦せる気がする。

全ページカラーなので、大人の絵本とでも言えるだろうか。

まぁ、若い頃の村上春樹の文章が読めるのであれば。

 

 

フィールドレコーディング入門/柳沢英輔

音の記憶を残したいと思っていて、スマホやらICレコーダーで幾つか残しているのだけれど、まだ、手応えのようなものがない。

音楽は好きだけれど、唄が好きなのか、リズムが好きなのか、メロディーが好きなのか、音そのものが好きなのか、音を聞くことが好きなのか、音を作ることが好きなのか、子供の頃から自問自答しても答えはない。

子供の頃、集音マイクなんかも買って、音を集めに行こうとしたこともあるけれど、都内からわざわざラジカセを担いでどこかに行くほどの根性もなく、集音マイクも今はどこに行ったのやら分からない。

フィールドレコーディングは、その名の通りで、主に屋外の環境音を録音して作品にしていく分野である。

音の記憶プロジェクトの何らかの役に立つかも、という直感と、今まで触れてこなかった分野なので買ってみた。

フィールドレコーディングと一言で括ってみた所で様々なスタイルや技法、そしてそこに込められるメッセージも多種多様だった。

自然礼賛のようなものから、政治的な主張が込められているもの、失われゆくものの記憶など、興味深い。

この本では解説だけでなく、ディスクガイド的な面もあるので、ちょっと聞いてみたいなと思える作品も紹介されていた。

聞いてみたら、音楽に対する考えに影響するかもしれない、と考えると楽しみである。

 

グアテマラ伝説集/ミゲル・アンヘル・アストゥリアス

資格試験の勉強を優先し、本を読むのを控えていたが、申込期限を過ぎていたうえに、気がついたのは試験当日だった。

いったん資格試験は次回に先延ばしにして、読もうと買っておいた本を取り出す。

グアテマラの世界的作家で、ノーベル賞も受賞しているらしい。

そんなことも知らないのかと、自分の浅学非才さに呆れるが、まだまだ読むべき本があるということだ。

この本はアストゥリアスがシュルレアリスムの影響下で、グアテマラの伝承を取り上げた作品とのこと。

神話的な語り口と、擬人化された自然の描写が、たぶん「魔術的リアリズム」と言われる所以のようなのだけれど、日本の怪異譚にはよくある描写だと思った。

近代ヨーロッパ的なリアリズムを前提とした時に、人間対自然の文脈があって、これに対するアンチとしてのシュルレアリスムがあるうえで、人間と自然を同じ距離感で記述するやり方が魔術的リアリズムとして評価しているということなのだろう。

あくまで、西欧文学におけるリアリズムの文脈からの見え方が、魔術的という評価であることを理解しないと面白みが薄れてしまうかもしれない。

 

くわえ煙草とカレーライス/片岡義男

こちらも酔っ払って買った本。

子供の頃は何とも思っていなかったけれど、年を取ると気になる作家の一人だ。

イメージ的には、赤川次郎、わたせせいぞうと同時代で似たような印象を持っていたけれど、結局、あまりあてにはならない。

とどのつまりは、自分の見る目の無さを痛感するしかないのだが、たぶん小説に(というか物語的なものに)ヒリヒリするような刺激を求めていたように思う。

扇情的だったり、混乱していたり、とにかく非日常的で、物の見方がひっくり返るようなものでなければ、読む気がしないような選び方だったのではないかと今になって思っている。

だから、片岡義男の描く小説の世界には惹かれなかったのではないだろうか。

この本は、とある郊外の喫茶店で交差する、様々な人間の姿を描いている連作小説である。

丹念に描かれる町の様子、登場人物たちの姿、そういったものが作品の魅力であり、会話の中にところどころに現れるズレのようなものも面白い。

子供の頃の自分には、この小説を味わえなかっただろう。

年を取るのも悪くない。

バレットジャーナル/ライダー・キャロル

ひとことで言えば、ノート術の本である。

ふとしたきっかけで知ったので、ちょっと借りて読んでみようかという気になった。

学生の頃からノートを取るように仕向けられるが、学生のノートと仕事のノートは全く違っているけれど、その事を教えてくれる人もいない。

というか、今までいなかった。

ビジネス本は30代になるまでろくに読まなかったし、厄介なことに、周りにはノートを取らずに仕事をする人もたくさんいるから、ノートの重要性に気づくのも遅れた。

けれど、後輩の中には優秀な子もいるので、ノートを見せてください、とダイレクトに聞かれることもあるが、それでもかなり珍しい。

ハウツウ本なので、その内容の要約は自分の趣味でもないし、「バレットジャーナル」自体のコミュニティや解説はネットに山ほどある。

ともあれ、方法論としてはけっこう有効で、自分のノートの取り方を見直して、いくつかの要素は取り込んで試している。

内容全てに合意するものでもないけれど、気になったら手に取ってみる価値はある本だと思った。