雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

考えよ!/イビチャ・オシム

久しぶりにオシムの言葉に触れたくて、ついネットでポチッと買ってしまった。

サッカーについてなにか言えるほど知っているわけでもないし、日本代表に熱狂するほどサッカー好きなわけでもない。

だが、昔読んだ「オシムの言葉」という本だったか、が何となく印象に残っていた。

絶えず考えろ、自ら動け、リスクを取れ、そんな言葉になるほどなと思ったと記憶している。

なぜ今読みたくなったかは分からないけれど、せっかくだから別の本をと思って、こちらの本にしてみたら、ほぼサッカーの話だった。

それなりに面白かったのだけれど、まぁ、そういうこともある。

 

 

昭和23年 冬の暗号/猪瀬直樹

酔っぱらってふらっと入ったブッ〇オフで購入した本。

猪瀬直樹の本はこれで3冊目ぐらいだったと思う。

つまりほとんど読んでいない。

昭和20年のポツダム宣言の受け入れから昭和23年の東條英機の処刑までの昭和天皇、平成天皇マッカーサー司令官の動きを描いている。

話の舞台回しに使われる、某子爵夫人の日記が実在するものか判らないが、天皇の側近や旧日本軍人たちの残した日記や発言、社会の出来事から、日本の敗戦の陰に隠れているクーデター未遂事件、東京裁判をめぐるマッカーサー昭和天皇の密約などが、物語として描かれる。

吉田茂白洲次郎も登場する。

語り口が上手いので、登場する人物たちの考えが、まるで聞いてきたかのようにも思われるが、これは歴史上の出来事を再構成している歴史小説、と捉えるべきだろう。

 

完全独習統計学入門/小島寛之

統計学に興味が湧いたので読んでみた。

前半(第1部)は未だ追いついて行けたが、後半(第2部)は追いつけなかった。

理解力が落ちているのだろうか。

もう一度読まねば。

練習問題も解いていないし。

 

言葉からの触手/吉本隆明

本棚を片づけていたら出てきた一冊。

いつ買ったのかもう覚えていなかったが、挟まっていたレシートを見ると1989年に買ったらしいので35年前である。

この本は詩的な評論、と言い代えたところで何も言っていない。

言葉によって言葉たりえないもの、身体とか時間とか抽象とかを探っている、という作品だと思った。

どうしてもわかりにくいし、理解できているのか怪しい。

非常に烏滸がましいのだけれど、自分にとって吉本隆明氏の言葉は、ベースにあるような気がする。

どこがどう影響しているとか具体的に説明できないのだけれど、吉本氏の文章の中にこういう言い回しとか、使っている時があるかもしれない、と思ってしまう。

「噂する 触れる 左翼する」の断章は、現在のSNSの言説にも適用できると思った。

というか、メディアが変わろうとも、言葉の本質は変わっていない、ということに他ならないのだと思った。

アナログの逆襲/デイビッド・サックス

ラジオで紹介されていたのでちょっと借りてみた。

アナログ vs デジタル、という構図で、デジタル的なものに対してアナログなものがリベンジする、という物語が繰り返される。

対象はレコード、ノート、フィルムなどのアイテムである。

この本が書かれるためにインタビューをしているようなのだが、その内容の多くは語られず、あくまで著者によって語られるアナログのリベンジ、という物語である。

事実として、レコードの売り上げが伸びている、ということと、とあるレコード店主の物語とは、あまり直接的な関係はないのだけれど、リベンジという物語で語られてしまう。

これは何の本なのか。

新しいビジネスを語るビジネス書のようでもあり、アナログなアイテムに関する随筆のようでもあり、アナログアイテムのリベンジという物語のようでもある。

 

ちょっとそこまでぱんかいに/山下明生、エム・ナマエ

とあるラジオで、お薦めしていたので、図書館で借りてみた。

絵のエム・ナマエ氏はこの後、失明してしまったが、やがて盲目のイラストレータとして活躍したらしい。

この本は眼が見えていた頃の最後の作品で、作風も変わってしまったらしい。

影の部分の塗りつぶしから点描でグラデーションを表現しているところ、4頭身ぐらいの人物の描き方、正確ではない直線と円の割にリアリティのあるフォルム、細かく書き込まれた背景、かなり特徴のある絵だと思った。

盲目になってからの絵と比べてみないと何とも言えない気もしたけれど、そこまでするかどうかはまだ考え中である。

そんなに絵本に造詣がある訳でも無いので。

無敵のソクラテス/池田晶子

ふと、池田晶子氏の著作が読みたくなり購入。

500頁2段組みなので、1,000頁相当の大著であり、ソクラテスシリーズの全作品が入っている。

対話篇という形式は、私という存在を韜晦するのに相応しい。

ソクラテスに語らせながら、「私」という存在を巡って、考えを深めてゆく。

時事ネタもありつつ、私は何者であるのかを問い続ける。

哲学とは考え続けることであり、考えることなしに示すことのできる何かではないということをソクラテスに言わせている。

1,000頁相当の大著を数行にまとめて語ることなどできないけれど、そのまとめられない考える過程こそが哲学なのだということであろう。

また、面白いなと思ったのは、家族に対する人称の考え方で、子供自身が1人称とするなら、母が2人称であり、父親が3人称であるという考えを展開している。

何となくフロイトドゥルーズ=ガタリオイディプス構造を連想した。