最初にカフカを読んだのは、10代の終わり。
それから、20代の終わり頃にまた読んでいる。
その後はしばらく読み返してもいなかったように思う。
「審判」「変身」は読んでいても、「城」「アメリカ」は読んでいない。
ドゥルーズ=ガタリの「カフカ」も読んだかどうだったか、内容は思い出せない。
カフカの小説は、不条理だとか、夢を記述しているようなとか、そんな風に紹介される。
この短編集もまた、うつうつとした、盛り上がりに欠ける作品ばかりだと思う。
それでも読んでしまうのは、空気感や方向性の定まらないような主人公の動きにリアリティを感じているからかもしれない。
カフカの作品は、友人のマックス・ブロートが遺言に背いて処分しなかったので、今でも読むことができているというのは有名な話だけれど、そんな作品群を私小説のように読んでいるような気がしている。
今はこうして自分の言葉を、誰でも見える所に発表できるようになったが、それではカフカのような作品は生まれないんじゃないか、という気もする。
小説の言葉は突飛なものでもないし、奇妙な表現というわけでもない。
だが、読み進めていくうちに少しづつずれていって、読み通してみると残る違和感は、言葉を溜めて蒸留して煮詰めて、といった孤独な作業から生み出されるのではないだろうか。
カフカに限らず、小説家の作業とはそういうものかもしれないけれど。
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