雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

美しい星/三島由紀夫

ミシマの作品の中でも、異色な作品。

自らを異星人だと信じている一家の物語である。

この物語がイカれているのは、自らを異星人だと信じているのはこの一家だけではない。

それぞれが異星人であるという出自を根拠に、とても人間らしい振る舞いなのだが、地球人を見下して暮らしている。

寓意としての異星人という構造を、時代背景としての東西冷戦、放射能懸念、政治不安を絡めて行くという、ミシマならではのポップさに溢れているのだが、悪趣味なことに物語中にUFOが何度か登場する。

UFOなど実在せず、異星人だと思い込んでいる人間の物語のはずが、UFOが登場することで寓意が寓意ではない状態に放り出されてしまう。

異性人たちが語るイデオロギーは、現実の誰かのカリカチュアだったはずが、イデオロギーそのものを皮肉めいた笑いに変えてしまう。

ミシマの仕掛ける悪趣味なポップさは、そろそろ評価されても良い頃なのではないだろうか。

 

美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)

 

 

奇貨/松浦理英子

久しぶりに訪れたブック○フで偶然に見つける。

チェーン系の古本屋での価格付けは、本の状態と店頭売上高が基準になっているようで、人文、文学の中堅どころとでも言うべき本はかなり格安で手に入れられることがある。

これが本当に好きな人しか買わないような本は流通しないし、流通数の多いものは二束三文で投売りされているし、社会の中での本の立ち位置みたいなものが典型的に現れているように思う。

思えば、松浦理英子を読むのも、紙の本を読むのも久しぶりだ。

レズビアンの女性と同居する中年男性の話、と書くと、最近の流行りに乗った意識高い系の小説のように聞こえるかもしれないが、そうではない。

性的な題材を扱っているようで、テーマはディスコミュニケーションである。

主人公の女性も、同居する男性も、叶わないコミュニケーションに悩まされている。

男性が淡く抱く恋心のようなものも、叶わないが故に、2人の同居というコミュニティも崩壊してしまう。

ここにあるのは皮肉でもなければ、嘆息でもなく、いまここにある問題のエッセンスのようなものだと思った。

コミュニケーションで成り立つ関係の不可能さ、あるいはディスコミュニケーションで成り立つ関係、というものが描かれ、それが何ら特異な状態ではなく、日常的にありふれたものになっている、ということだろう。

などと考えてみた。

 

奇貨 (新潮文庫)

奇貨 (新潮文庫)

 

 

CASA BRUTUS カフェとロースター

つい買ってしまう、コーヒー特集。

あとカレー特集も。

 美味いコーヒーというより、カフェという空間が気になる。

Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2018年4月号 [カフェとロースター]

Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2018年4月号 [カフェとロースター]

 

 

御馳走帖/内田百閒

先月に突然風邪をひいて寝込んだ際に再読。

2日で読みきれずにようやく読了。

相変わらずの百鬼園先生の語りが、病人には優しかった。

 

御馳走帖 (中公文庫)

御馳走帖 (中公文庫)

 

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち/田中圭一

 何だか調子が良くない、病気というほどではないと思うんだけど、何もかもがつまらなくなってしまうときがある、という日常が続いていて、ふと久しぶりに行った本屋で見つけた本。

田中圭一のことは、コミックキューなどで目にしていたが、あまり読んだことは無かった。

そして、それ以上に鬱なんて、ネットスラングで使うぐらいにしか考えて無かったけれど、読んでみると、案外、自分にも当てはまる部分があることに気付いた。

思えば、不惑をとうに過ぎもうすぐ知命

他人と比べることに意味が無いことは頭で分かっていても、同年代や同じ立場の他人と比べ、上を見て下を見て横目で見ながら遠くに眼を凝らす。

結局は、リアルだろうがネットだろうが、社会やコミュニティの中にいる。

他人と過ごして何も思わないということは不可能なのだけれど、それを吐き出さずに飲み込み続けている自分を発見する。

それが、このところ続いている不調の原因なのかもしれない、と思い当たった。

この本でそんな気持ちが少しだけ楽になった。

たぶんまだ大丈夫だろう。

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 

鍵/谷崎潤一郎

本当は電子書籍版の全集で読んだのだけれど、そのことをいちいち言うのもどうかと思って、これからは気になったものだけ取り上げようかと思う。

「鍵」は何度も映画化もされているから、有名な作品だろう。

読まれないように小細工をしながら、読まれることを前提に日記を書き、木村という第三者を触媒に、互いの欲望を探り合う夫婦の話。

互いの日記で構成され、繰り出されてくる谷崎の言葉は、どこまでも下世話だ。

秘密めいた倒錯した愉しみを描く谷崎の言葉のなんと活き活きとしている事か。

 

鍵 (中公文庫 (た30-6))

鍵 (中公文庫 (た30-6))

 

 

 

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

 

 

 

 

女の人差し指/向田邦子

何だか向田邦子が気になる。

たぶん同年代に近くなった。

向田邦子のエッセイに、親近感のようなものを覚えているような気がする。

何とはないようなことなのだが、それでも読ませる文章だと思う。

内容ではなく(とは言えゼロではないが)書きっぷりで読ませるというのはやはりプロのテクニックなのだと思うが、そこに至る人間としての深みのようなものがあるに違いない。

それはそれまでの経験だったり、普段からの思慮だったりするのだろう。

つまりエッセイに書けるだけの経験を積んでいる結果なのだろうと思うと、一方で自分はどうなのかと思う。

書き手と読み手の距離が近くなってきたからこそ、書いている文章というより、その背後の書き手が気になる。

もちろん同じであるわけもなく、違うからこそ読み甲斐がある。

読み甲斐があるからこそ、焦燥感にも似た感じがする。

 

新装版 女の人差し指 (文春文庫)

新装版 女の人差し指 (文春文庫)

 
女の人差し指 (文春文庫)

女の人差し指 (文春文庫)

 
女の人差し指 (文春文庫)

女の人差し指 (文春文庫)