雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

世界の奇妙な国境線/世界地図探求会

ついでに借りてみた1冊。

飛び地、未確定の国境、不自然な形の回廊、そういった地図上の国境線から、現代史の国境紛争問題に遡っていく。

この本もまた軽く読めてしまうが、あんがい重いテーマである。

 

世界の奇妙な国境線 (角川SSC新書)

世界の奇妙な国境線 (角川SSC新書)

 

 

ひとりメシの極意/東海林さだお

とあるブログで褒めているのを見て、読んでみようかと思った。

が、図書館で予約したところ、返却待ちになっていた。

そして夏休みの前日に、貸出可能の通知が来て、借りに行けず、結局、1週間遅れで受取って読み始めた。

食事に関する軽いエッセイである。

まぁ、面白いのだが、あっという間に読み終わった。

 

ひとりメシの極意 (朝日新書)

ひとりメシの極意 (朝日新書)

 

 

台所のおと/幸田文

幸田文の短編小説集である。

随筆での語りが小説世界では制約になって、どの登場人物も作者の分身となってしまうのではないか、という漠とした不安のようなものがあったのだが、それは杞憂だった。

表題作の「台所のおと」に描かれる料理人を始め、様々な人々が描かれるが、確かに作者の語りの延長線には居るのだけれど、きちんとキャラクターが立っている。

しかしそれもこれも、幸田文幸田露伴の娘である、というレッテルで作品を眺めている、浅学な読者の一方的な思い込みに過ぎない。

その思い込みを剥がしてみたところで、これらの小説の世界観は、若い頃の自分にはきっと理解できなかったと思う。

保坂和志の「カンバセーション・ピース」には反応できても、この作品集までの距離には力量が届かない。

日常の小説化というか、ホームドラマ的な物語というか、うまく当てはまる言い方が見当たらないが、単純ではない機微な物語のようなものだと思った。

そう思うと、歳を取ったことで、手に取れる作品が増えたのかもしれない。

これらの小説を映像として観たい気もする。

だが、下手に演じると白々しくなりそうな気もするし、俳優たちの演技力も相当必要かもしれない。

 

台所のおと (講談社文庫)

台所のおと (講談社文庫)

 

 

 

 

阿修羅のごとく/向田邦子、中野玲子

子供の頃、NHKのドラマで観た記憶がある。

オープニングはトルコのCeddin Dedenで、これがとても印象的だった。

その後民族音楽を聴くきっかけだったと言っても、過言ではない。

名取裕子が出演してたように記憶していたが、これは勘違いだったようだ。

ドラマの内容はほとんど覚えていない。

wikiで調べてもピンとこないぐらい忘れている。

放蕩老人の話だったような印象だったのだが、老夫婦と娘4人によるホームドラマだった。

何かちょっといま読みたいものだったのとは違っていたので、早々に図書館へ返却した。

 

阿修羅のごとく (文春文庫)

阿修羅のごとく (文春文庫)

 

 

 

月の塵/幸田文

いまさらながら、幸田文の読者とは誰なんだろう、と思った。

懐古的な随筆はいつの日か考古趣味の対象になり、文学としては読まれなくなるのではないかという気がする。

幸田文が書いている対象について興味がある読者というのは誰なのだろう。

そして、幸田文の語り口、物の見方に共感する読者というのは誰なのだろう。

明治生まれの筆者が昭和の時代に書いた文章を、令和の現在に読むということはどういうことなのだろう。

幸田文を読み耽るうちにそんなことを考えた。

 

月の塵 (講談社文庫)

月の塵 (講談社文庫)

 

 

季節のかたみ/幸田文

幸田文の文章に惹かれている。

そう思って随筆を借りてきたのだが、ちょっと違うようだ。

悪くはないのだが、ちょっと思ったのと違うと言うか。

読者の勝手な思い込みなんだろうとは思うのだが、いまひとつに感じてしまうのは、老いの影が見える点だろうか。

 

季節のかたみ (講談社文庫)

季節のかたみ (講談社文庫)

 

 

父・こんなこと/幸田文

幸田文幸田露伴の次女である。

従ってこの「父」とは幸田露伴のことである。

幸田露伴の臨終記ともいえる表題作、その亡き父の思い出を語る随筆である。

幸田文の語り口は、東京の下町の喋りの息遣いが感じられる。

たぶん、言葉使いだけじゃなく、その背後にある物の見方のようなものが、自分の祖父母や親戚、亡き父に通じるものがあるような気がする。

そして、語られる対象の幸田露伴にはまさに、明治生まれの祖父の面影に通じるものがある。

語られる言葉、語られる人となり、それらが個人の記憶や印象と結びついてしまう。

そしてこの感覚は、いずれ誰にも分からなくなる。

その頃には、幸田文はまだ読まれているのだろうか。

SNSで垂れ流されていく言葉と、そこに標準語が移ろってゆくうちに、東京の下町言葉は霧散してしまうだろう。

 

父・こんなこと (新潮文庫)

父・こんなこと (新潮文庫)