本棚を片づけていたら出てきた一冊。
いつ買ったのかもう覚えていなかったが、挟まっていたレシートを見ると1989年に買ったらしいので35年前である。
この本は詩的な評論、と言い代えたところで何も言っていない。
言葉によって言葉たりえないもの、身体とか時間とか抽象とかを探っている、という作品だと思った。
どうしてもわかりにくいし、理解できているのか怪しい。
非常に烏滸がましいのだけれど、自分にとって吉本隆明氏の言葉は、ベースにあるような気がする。
どこがどう影響しているとか具体的に説明できないのだけれど、吉本氏の文章の中にこういう言い回しとか、使っている時があるかもしれない、と思ってしまう。
「噂する 触れる 左翼する」の断章は、現在のSNSの言説にも適用できると思った。
というか、メディアが変わろうとも、言葉の本質は変わっていない、ということに他ならないのだと思った。