雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

再婚者・弓浦市/川端康成

表題作の「弓浦市」は、主人公の小説家のもとに、見知らぬ女性が訪れ、かつての弓浦市での思い出語りをする、という短篇である。

女性に見覚えもないうえ、弓浦市などという地名は存在しない、というなんとも薄気味の悪い話である。

この本に収められている短篇はどれも何だか薄気味が悪く、じめじめとした話ばかりだと思った。

明らかな幽霊譚である「無言」も、亡くした夫の思い出語りである「水月」も、どうにも湿った話だ。

だが、感傷的なのではなく、そこには虚無感が漂っている

川端康成という作家は、読者をいったいどこへ連れて行こうとしているのかよく分からない。

手を引かれて歩き始めたのに、急に振り切られたかのような、夢と現のあわいに突き落とされる。

 

 

再婚者;弓浦市 (講談社文芸文庫)

再婚者;弓浦市 (講談社文芸文庫)

 

 

おつまみ一行レシピ/やまはたのりこ

実はまだ読んでいない。

店頭で買おうか買うまいか、しばらく悩んで買わずに帰った。

しかし、これは買うと思う。

短歌のような1行にレシピがまとめられており、写真も良く、記憶に残った。

 

おつまみ一行レシピ ~きき酒師がつくる酒の肴136品~ (マイナビ文庫)

おつまみ一行レシピ ~きき酒師がつくる酒の肴136品~ (マイナビ文庫)

 

  

オホーツクの古代史/菊池俊彦

北には何かしら魅かれるものがあるようだ。

北海道から連なる千島列島、カムチャッカ半島樺太アリューシャン列島、オホーツク海を、子供の頃、地図で眺めていた。

やがて、アルセーニエフの「デルス・ウザーラ」を読み、そこに登場するシベリアの少数民族、また、栗本慎一郎の経済人類学に登場するエスキモーのエピソードなどに触れ、北の世界に住む人々への興味がわいた。

この本ではまず、中国の史書に登場する流鬼国、夜叉国がどこにあったのかという考察を進めていく。

サハリン説、カムチャッカ半島説それぞれに対して、論拠を辿りながら考察を進める筆致はいささかスリリングだ。

そして、そこから環オホーツク海文化圏の姿が見えてくる。

北海道はその南端に過ぎず、アイヌ民族もその外側に位置する文化圏の姿は未知の世界であった。

まだまだ知らないことが沢山ある。 

 

新書491オホーツクの古代史 (平凡社新書)

新書491オホーツクの古代史 (平凡社新書)

 

 

忘れられた島々「南洋群島」の現代史/井上亮

子供のころ、東京から遠く離れたミクロネシアの島々を、地図で辿ったりした。

アメリカの信託統治領が何であるかも知らず、太平洋に点在する島々に思いを馳せていた。

この本は日本が進出し、太平洋戦争を引き起こし、そしてアメリカの信託統治となった昭和時代の南洋諸島をたどる。

戦前の日本を、旧日本軍に操られた、まるで別人であるかのような論調とは、この本は異なっている。

この本で取り上げられているのは、外国人に寛容なふりをしながら、ひどい差別をしたり、日本人同士の中でも差別をする姿であり、マクロな権力論の話でも、出来事を羅列するだけの歴史読み物でもない。

誰かを悪者にして不幸を語るのではなく、そこにあるのは今でも容易に想像できる日本人たちの心象を描いており、その意味で現代に続いている失敗のカタログなのではないだろうか。

目の前で人が殺され、腐って行くという現実、殺されなくても集団自決を選ぶという心象、それらが今の自分たちと地続きの過去なのだということに、少し思いをめぐらされた本である。

 

新書783忘れられた島々「南洋群島」ノ現代史 (平凡社新書)
 

 

寺山修司青春歌集

ちょっと気恥ずかしいタイトルだが、寺山修司の20代の短歌作品集である。

寺山修司の短歌の叙情は、安っぽくて、ステレオタイプで、大げさな、まるでTVドラマのような世界が、31文字の中に籠められている。

それは、コントラストが強く、ポップな色彩に彩られており、確かに20代の青年の詩なのだと思う。

やはり気恥ずかしいが、それが癖になる。

 

寺山修司青春歌集 (角川文庫)

寺山修司青春歌集 (角川文庫)

 

 

寺山修司青春歌集 (角川文庫)

寺山修司青春歌集 (角川文庫)

 

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美しい星/三島由紀夫

ミシマの作品の中でも、異色な作品。

自らを異星人だと信じている一家の物語である。

この物語がイカれているのは、自らを異星人だと信じているのはこの一家だけではない。

それぞれが異星人であるという出自を根拠に、とても人間らしい振る舞いなのだが、地球人を見下して暮らしている。

寓意としての異星人という構造を、時代背景としての東西冷戦、放射能懸念、政治不安を絡めて行くという、ミシマならではのポップさに溢れているのだが、悪趣味なことに物語中にUFOが何度か登場する。

UFOなど実在せず、異星人だと思い込んでいる人間の物語のはずが、UFOが登場することで寓意が寓意ではない状態に放り出されてしまう。

異性人たちが語るイデオロギーは、現実の誰かのカリカチュアだったはずが、イデオロギーそのものを皮肉めいた笑いに変えてしまう。

ミシマの仕掛ける悪趣味なポップさは、そろそろ評価されても良い頃なのではないだろうか。

 

美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)

 

 

奇貨/松浦理英子

久しぶりに訪れたブック○フで偶然に見つける。

チェーン系の古本屋での価格付けは、本の状態と店頭売上高が基準になっているようで、人文、文学の中堅どころとでも言うべき本はかなり格安で手に入れられることがある。

これが本当に好きな人しか買わないような本は流通しないし、流通数の多いものは二束三文で投売りされているし、社会の中での本の立ち位置みたいなものが典型的に現れているように思う。

思えば、松浦理英子を読むのも、紙の本を読むのも久しぶりだ。

レズビアンの女性と同居する中年男性の話、と書くと、最近の流行りに乗った意識高い系の小説のように聞こえるかもしれないが、そうではない。

性的な題材を扱っているようで、テーマはディスコミュニケーションである。

主人公の女性も、同居する男性も、叶わないコミュニケーションに悩まされている。

男性が淡く抱く恋心のようなものも、叶わないが故に、2人の同居というコミュニティも崩壊してしまう。

ここにあるのは皮肉でもなければ、嘆息でもなく、いまここにある問題のエッセンスのようなものだと思った。

コミュニケーションで成り立つ関係の不可能さ、あるいはディスコミュニケーションで成り立つ関係、というものが描かれ、それが何ら特異な状態ではなく、日常的にありふれたものになっている、ということだろう。

などと考えてみた。

 

奇貨 (新潮文庫)

奇貨 (新潮文庫)