久しぶりに訪れたブック○フで偶然に見つける。
チェーン系の古本屋での価格付けは、本の状態と店頭売上高が基準になっているようで、人文、文学の中堅どころとでも言うべき本はかなり格安で手に入れられることがある。
これが本当に好きな人しか買わないような本は流通しないし、流通数の多いものは二束三文で投売りされているし、社会の中での本の立ち位置みたいなものが典型的に現れているように思う。
思えば、松浦理英子を読むのも、紙の本を読むのも久しぶりだ。
レズビアンの女性と同居する中年男性の話、と書くと、最近の流行りに乗った意識高い系の小説のように聞こえるかもしれないが、そうではない。
性的な題材を扱っているようで、テーマはディスコミュニケーションである。
主人公の女性も、同居する男性も、叶わないコミュニケーションに悩まされている。
男性が淡く抱く恋心のようなものも、叶わないが故に、2人の同居というコミュニティも崩壊してしまう。
ここにあるのは皮肉でもなければ、嘆息でもなく、いまここにある問題のエッセンスのようなものだと思った。
コミュニケーションで成り立つ関係の不可能さ、あるいはディスコミュニケーションで成り立つ関係、というものが描かれ、それが何ら特異な状態ではなく、日常的にありふれたものになっている、ということだろう。
などと考えてみた。