雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

収容所から来た遺書/辺見じゅん

おすすめしている人がいて、ちょっと興味を引いたので、図書館で借りてみた。

終戦後、ソ連軍に捕捉され、シベリアに抑留された日本人が60万人もいた。

その事実を、歴史上の出来事としてではなく、こういったノンフィクションとして読むのは、かなりしんどかった。

山本幡男氏は、満州鉄道調査部に勤務から召集され、ハルピン特務機関で終戦を迎え、ソ連軍によって抑留された。

厳しい収容所生活の中での文化活動、アムール句会、そして彼の遺書を家族に届けようと分担して暗記し帰国する仲間たち。

重い内容で、途中、何度か諦めようかとも思ったが、なんとか読み通すことができた。

ところで、ノンフィクションというものは、事実の記録ではなく、事実を基にした物語だと思っている。

フィクションも全くの無から有を作るものではない以上、フィクションとノンフィクションの境目というのは曖昧なのではないだろうか。

だからと言ってこの本の価値が変わるというものでもないけれど、どこかで錯覚してしまいそうになっている自分がいると思う。