雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

19本の薔薇/ミルチャ・エリアーデ


自由とは何だろうか

19本の薔薇

19本の薔薇


『19本の薔薇』とは何を意味しているのだろうか?
スペクタクルとは何だろうか?
記憶回復とはどういうことだろうか?
19本の薔薇は誰が届けたのだろうか?
物語は謎めいて、何かを隠しているが、それが何かは判らない。
作者であるエリアーデ自身も、この作品の真の意味は理解されないだろう、と記している。
物語は老いた老作家と秘書のところに、息子とその婚約者を名乗る若者が現れるところから始まり、彼らが関わる演劇集団が絡み、過去の記憶が辿られ、社会主義体制の権力闘争が関連し、と様々な方向に光が反射する。
物語の中心辺りにあるのは、古代演劇と記憶を呼び覚ます宗教的な儀式めいたものだ。
そして終盤に、エリアーデ自身の主張らしき『絶対的自由』が現れる。
『絶対的自由』とは何だろうか?
チャウシェスク政権下のルーマニアで、エリアーデはこの物語を書いているが、それは社会主義的な管理体制からの自由を意味しているのではないだろう。
物語を追って行くと、時間・空間・物質からの自由かの様に見える。
だが、そうではなく、実は我々自身からの自由であるように思う。
ソフトな管理社会を潜在的に望む漠然とした不安の背後にある、自律からの逃避にも似た心の隙間、何かに捉われている心からの自由、そんなことを思う。