この本は、金子光晴氏が昭和初期に東南アジアを放浪した頃、発表するあても無く書き綴っていた紀行文とでも言えようか。
なぜ放浪していたのか、それは他の著書のテーマであり、この本のテーマではない。
描かれるのは、放浪先の土地に暮らす人々の姿、貧しい移民たち、濁った水、深い緑、熱帯の空気、悲惨なうわさ話…
南国の楽園的な光景は描かれない。
ましてや、ガイドブック風に異国が紹介されるのでもない。
そこにあるもの、そこで聞いたこと、そこで触れたものを記録する。
誰かに何かを伝えるためではない、何をどう感じたか、が記される。
見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、それらを如何に言葉にするか、言葉による表現というものを研ぎ澄ませていく、そんな文章に思える。
唯一無二の眼として、耳として、肌として、金子光晴氏がその時そこに存在し、放浪していたということの証、それは誰かのためではなく、詩人として書かずにはいられなかった、そんな作品なのではないかと思った。
- 作者: 金子光晴
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2004/11/25
- メディア: 文庫
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