今更この本について語ろうとしてみるのだが、どういった距離感なのか良く判っていない。
この本が書かれた背景には、19世紀ヨーロッパの世界がある。
市民革命と産業革命により台頭したブルジョワジーと、抑圧されたプロレタリアートの階級闘争を告発し革命を促す。
だが、階級闘争によって歴史を読み替えるやり口は、私有財産の放棄を促すための方便にも思える。
抑圧されたプロレタリアートが闘争を通じて目指すのは、自らがブルジョワジーになること、負け組ではなく勝ち組になること、なのではないだろうか。
所有と富の配分における不公平感は、中庸の均衡に向かって解消するのではなく、各人が最大の利益を得ようとする競争を産み出すのではないだろうか。
そして問題の本質は経済なのだろうか、政治なのだろうか、社会保障なのだろうか、あるいは社会なのだろうか。
まだこの本との距離がつかめていない気がする。
- 作者: フリードリヒ・エンゲルス,カール・マルクス,水田洋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/12/10
- メディア: 文庫
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