雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

台所のおと/幸田文

幸田文の短編小説集である。

随筆での語りが小説世界では制約になって、どの登場人物も作者の分身となってしまうのではないか、という漠とした不安のようなものがあったのだが、それは杞憂だった。

表題作の「台所のおと」に描かれる料理人を始め、様々な人々が描かれるが、確かに作者の語りの延長線には居るのだけれど、きちんとキャラクターが立っている。

しかしそれもこれも、幸田文幸田露伴の娘である、というレッテルで作品を眺めている、浅学な読者の一方的な思い込みに過ぎない。

その思い込みを剥がしてみたところで、これらの小説の世界観は、若い頃の自分にはきっと理解できなかったと思う。

保坂和志の「カンバセーション・ピース」には反応できても、この作品集までの距離には力量が届かない。

日常の小説化というか、ホームドラマ的な物語というか、うまく当てはまる言い方が見当たらないが、単純ではない機微な物語のようなものだと思った。

そう思うと、歳を取ったことで、手に取れる作品が増えたのかもしれない。

これらの小説を映像として観たい気もする。

だが、下手に演じると白々しくなりそうな気もするし、俳優たちの演技力も相当必要かもしれない。

 

台所のおと (講談社文庫)

台所のおと (講談社文庫)

 

 

 

 

阿修羅のごとく/向田邦子、中野玲子

子供の頃、NHKのドラマで観た記憶がある。

オープニングはトルコのCeddin Dedenで、これがとても印象的だった。

その後民族音楽を聴くきっかけだったと言っても、過言ではない。

名取裕子が出演してたように記憶していたが、これは勘違いだったようだ。

ドラマの内容はほとんど覚えていない。

wikiで調べてもピンとこないぐらい忘れている。

放蕩老人の話だったような印象だったのだが、老夫婦と娘4人によるホームドラマだった。

何かちょっといま読みたいものだったのとは違っていたので、早々に図書館へ返却した。

 

阿修羅のごとく (文春文庫)

阿修羅のごとく (文春文庫)

 

 

 

月の塵/幸田文

いまさらながら、幸田文の読者とは誰なんだろう、と思った。

懐古的な随筆はいつの日か考古趣味の対象になり、文学としては読まれなくなるのではないかという気がする。

幸田文が書いている対象について興味がある読者というのは誰なのだろう。

そして、幸田文の語り口、物の見方に共感する読者というのは誰なのだろう。

明治生まれの筆者が昭和の時代に書いた文章を、令和の現在に読むということはどういうことなのだろう。

幸田文を読み耽るうちにそんなことを考えた。

 

月の塵 (講談社文庫)

月の塵 (講談社文庫)

 

 

季節のかたみ/幸田文

幸田文の文章に惹かれている。

そう思って随筆を借りてきたのだが、ちょっと違うようだ。

悪くはないのだが、ちょっと思ったのと違うと言うか。

読者の勝手な思い込みなんだろうとは思うのだが、いまひとつに感じてしまうのは、老いの影が見える点だろうか。

 

季節のかたみ (講談社文庫)

季節のかたみ (講談社文庫)

 

 

父・こんなこと/幸田文

幸田文幸田露伴の次女である。

従ってこの「父」とは幸田露伴のことである。

幸田露伴の臨終記ともいえる表題作、その亡き父の思い出を語る随筆である。

幸田文の語り口は、東京の下町の喋りの息遣いが感じられる。

たぶん、言葉使いだけじゃなく、その背後にある物の見方のようなものが、自分の祖父母や親戚、亡き父に通じるものがあるような気がする。

そして、語られる対象の幸田露伴にはまさに、明治生まれの祖父の面影に通じるものがある。

語られる言葉、語られる人となり、それらが個人の記憶や印象と結びついてしまう。

そしてこの感覚は、いずれ誰にも分からなくなる。

その頃には、幸田文はまだ読まれているのだろうか。

SNSで垂れ流されていく言葉と、そこに標準語が移ろってゆくうちに、東京の下町言葉は霧散してしまうだろう。

 

父・こんなこと (新潮文庫)

父・こんなこと (新潮文庫)

 

 

チベット旅行記/河口慧海

読了まで何ヶ月かかっただろうか。

まぁ、長い旅行記である。

それだけ道中の出来事やら沢山あるのだが、事の仔細が、上から目線なのが気になった。

明治維新の矜持を前提に他国を眺めているので、それはもう酷い言い様である。

冒険記として、或いは民俗学として、当時のチベットの人々の暮らし様がわかるのだが、一方で偏見に満ちた政治や経済の記述はあてにならない気がする。

だが、二十世紀初頭の国際情勢や日本人の考えのようなものが透けて見えてくるのが面白い。

 

 

チベット旅行記

チベット旅行記

 

 

木/幸田文

幸田文をもう一冊。

今回も図書館で借りたのだけど、こちらの方が気になっていたのだった。

タイトルの通り、木に関する随筆である。

雑学を披露するでもなく、淡々と木に対する印象や描写で綴られ、作者の思いが込められる。

随筆とは随想、つまり心に浮かぶ由無し言を、書き綴ったものだと言えば、誠に正しい随筆であると言える。

だが一方で、そういう文章は反りが合わないと腑に落ちないものになるだろう。

残念ながらこの本は、今ひとつピンと来なかった。

良い文章だし、テーマだって面白いのだが、ちょっとついていけない。

読んでいても言葉が上滑りして、どうも腑に落ちた感じがしない。

残念である。

 

木 (新潮文庫)

木 (新潮文庫)