雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

<わたし>はどこにあるのか/マイケル・S.ガザニガ

どこかのSNSか何かで、この本のことが言及されているのを眼にして、ちょっと読んでみようかと思った。

副題は「ガザニガ脳科学講義」である。

原題は「Who's in Charge? Free Will and Science of the Brain」

 

人間にとって脳とは中枢であり、肉体的な死よりも脳死が死であると判断するぐらいに重要な臓器であろう。

脳が「わたし」の全てであり、脳のメカニズムを解明すれば、つまり生化学的な反応が「わたし」という現象なのではないか、そういう疑問をもし抱いたことがあったら、この本は興味深く読めると思う。

著者のガザニガ氏は認知神経科学の世界的権威だそうである。

脳の機能について様々な実験例から探っていき、私が「わたし」であると認識すること、そして人間とはどういった生き物なのか、という疑問に答えていく。

例えば、脳梁離断手術した癲癇患者への実験により、脳が様々な認知モジュールの並行処理であることを突き止めていったり、入ってきた情報に理由や説明をつけたがるインタープリターモジュールの存在など、脳の働きがスリリングに暴かれていく。

もともと、スコットランドのギフォード講義という講演を元に書かれているため、専門的な内容でありながら読みやすい。

結局、人間は脳が肉体という乗り物を操作しているだけではないか(本の中にも出てくるが、MIBのエイリアンのイメージ)という疑問には、違うというのが結論として示されている。

読み終わるのが惜しい本に久しぶりに出会った。

 

〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義

〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義

 

 

芝生の復讐/リチャード・ブローティガン

何となく読み返してみる。

数ページの長さの短編小説や、散文詩のような文章の詰まった作品集である。

面白いのもあり、侘しいのもあり、良くわからないのもある。

結局のところ、ブローティガンの作品の、何が良かったのか分からなくなる。

面白いのか面白くないのか自問しながら読み進むうちに、読み終えてしまう。

しかし、ブローティガンの作品というものは、そういうものだったのかもしれない。

 

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)

 

 

スコッチと銭湯/田村隆一

久しぶりに田村隆一を読んでみる。

詩と随筆のアンソロジーである。

誰もが田村隆一のように詩を書くことは出来ないが、酒を呑んだり銭湯に浸かったりすることはできそうだ。

 

スコッチと銭湯 (ランティエ叢書)

スコッチと銭湯 (ランティエ叢書)

 

 

街場の現代思想/内田樹

随筆ばかり読んでいると、論理的思考ができなくなるような気がして、とはいえ急に堅い人文書に手を伸ばすほどでもなく、ちょっと堅めの随筆を選ぶ。

内田樹レヴィナスの翻訳者として知っていたはずなのに、随筆で見かける名前と一致していなかった。

ともあれ、「街場の」シリーズにちょっと手を伸ばしてみる。

おそらく、大上段に構えた人文系の論説ではなく、例えばこの本のような、悩み相談といった形式で、テーマに触れたりするのがこのシリーズなのだろうか。

語られていることは、ややレトリックに流れているような気がしなくもないが、まぁ、面白く読めた。

通常のモノの見方とは異なる捉え方、一見自明のようなことでも批判的に捉える、という考え方のトレーニングが出来れば良いのだろう。

だから、現代思想の解説として読んだらがっかりするかもしれないが、解説を読んで解ったような気になってしまうよりはマシなんじゃないだろうか。

 

街場の現代思想 (文春文庫)

街場の現代思想 (文春文庫)

 

 

世界の奇妙な国境線/世界地図探求会

ついでに借りてみた1冊。

飛び地、未確定の国境、不自然な形の回廊、そういった地図上の国境線から、現代史の国境紛争問題に遡っていく。

この本もまた軽く読めてしまうが、あんがい重いテーマである。

 

世界の奇妙な国境線 (角川SSC新書)

世界の奇妙な国境線 (角川SSC新書)

 

 

ひとりメシの極意/東海林さだお

とあるブログで褒めているのを見て、読んでみようかと思った。

が、図書館で予約したところ、返却待ちになっていた。

そして夏休みの前日に、貸出可能の通知が来て、借りに行けず、結局、1週間遅れで受取って読み始めた。

食事に関する軽いエッセイである。

まぁ、面白いのだが、あっという間に読み終わった。

 

ひとりメシの極意 (朝日新書)

ひとりメシの極意 (朝日新書)

 

 

台所のおと/幸田文

幸田文の短編小説集である。

随筆での語りが小説世界では制約になって、どの登場人物も作者の分身となってしまうのではないか、という漠とした不安のようなものがあったのだが、それは杞憂だった。

表題作の「台所のおと」に描かれる料理人を始め、様々な人々が描かれるが、確かに作者の語りの延長線には居るのだけれど、きちんとキャラクターが立っている。

しかしそれもこれも、幸田文幸田露伴の娘である、というレッテルで作品を眺めている、浅学な読者の一方的な思い込みに過ぎない。

その思い込みを剥がしてみたところで、これらの小説の世界観は、若い頃の自分にはきっと理解できなかったと思う。

保坂和志の「カンバセーション・ピース」には反応できても、この作品集までの距離には力量が届かない。

日常の小説化というか、ホームドラマ的な物語というか、うまく当てはまる言い方が見当たらないが、単純ではない機微な物語のようなものだと思った。

そう思うと、歳を取ったことで、手に取れる作品が増えたのかもしれない。

これらの小説を映像として観たい気もする。

だが、下手に演じると白々しくなりそうな気もするし、俳優たちの演技力も相当必要かもしれない。

 

台所のおと (講談社文庫)

台所のおと (講談社文庫)