雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

不思議図書館/寺山修司

たぶんこの本を読んだのは、高校生の時だ。

昭和59年の初版である。

確か家の近所の小さな本屋で買ったのだと思う。

古本屋で見つけた珍しい本を紹介していくというスタイルで、サブカル的な話題を回していく。

軽く読めるが、シュルレアリスムドゥルーズに触れている箇所もあり、寺山修司の炯眼が伺える。

 

不思議図書館 (角川文庫)

不思議図書館 (角川文庫)

  • 作者:寺山 修司
  • 発売日: 2005/03/24
  • メディア: 文庫
 

 

金沢・酒宴/吉田健一

何となく読み返してみる。

Twitterをはじめとする短文に慣れていると、なんと読みにくい文章であることか。

だらだらと句読点もなく続く文章は、詩的というか、回りくどいというか。

そして金沢という舞台設定は、金沢という街を紹介するでもなく、むしろマイナス評価の上に物語を組み立てる。

その意味で金沢の小説なのだが、金沢でなくても良い小説になっている。

 

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

  • 作者:吉田 健一
  • 発売日: 1990/11/05
  • メディア: 文庫
 

 

食卓歓談集/プルタルコス

この本は誰に薦められたのか忘れてしまった。

西洋文化におけるエッセイの源流の一つとして位置づけられる「モラリア」からの抜粋版である。

日常の様々な疑問にああでもないこうでもないと話を繰り広げる。

古代ローマの思考なので、いまでは良く分からない習慣や非常識な対応もあったりするが、論理的かつ倫理的に会話を進めるのは面白くもある。

科学的じゃないとか、実証されていないとか、そういう問題ではない。

たぶん誰かを理解するとか議論をするトレーニングになるのではないだろうか。

 「なぜ女は酒に酔いにくく老人は酔いやすいか」「女の体質は男より冷たいか熱いか」「性交に適したとき」「いわゆる凶眼について」辺りが面白いと思った。

食卓歓談集 (岩波文庫)

食卓歓談集 (岩波文庫)

 

 

詩人の食卓/高橋睦郎、金子國義

久しぶりに高橋睦郎のエッセイを読む。

東京を離れ、逗子に引越したいきさつ、そして食に関するエッセイといったところ。

約30年前のバブル期に書かれているためか、詩人のちょっと華やかな交友関係や生活が垣間見える。

詩人の食卓―mensa poetae

詩人の食卓―mensa poetae

  • 作者:高橋 睦郎
  • 発売日: 1990/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

意識・革命・宇宙/埴谷雄高、吉本隆明

1975年の埴谷雄高吉本隆明の対談。

テーマがあるようで無いような、対談として意見が平行線な感じがする。

「死霊」の話はともかく、革命や内ゲバ、戦前のプロレタリア運動について語っているのは、隔世の感がある。

吉本隆明は絶えず日本中世の仏教思想に引き寄せようとするし、埴谷雄高はカント、ドストエフスキーの話をする。

そして、80年代にこの二人は「コム・デ・ギャルソン論争」をすることになる。

互いに相容れないけれど刺激し合ってる、とでも考えるべきか。

ご両人とも逝去されているので、今でも天上界で論争されているのだろうか。

 

悪党列伝/ホルヘ・ルイス・ボルヘス

久しぶりにボルヘスを読む。

外出自粛だからな。

古今東西の悪人のエピソードの短篇+αである。

持っているのは晶文社版であるが、今は「汚辱の世界史」というタイトルで岩波文庫にも入っている。

「悪党列伝」の方が良いタイトルだと思うが、版権や訳者の関係だろうか?

ビリー・ザ・キッド吉良上野介も登場するが、「メルヴのハキム」こと「ハーシム=アル・ムカンナア」や「鄭夫人」もなかなか味わい深い。

 

悪党列伝

悪党列伝

 

 

 

汚辱の世界史 (岩波文庫)

汚辱の世界史 (岩波文庫)

 

 

神隠し/小松和彦

COVID19で外出自粛なので、本を読む。

だいぶ前の再読。

神隠しの物語分析から類型を取り出して、という、一連の思考手続きが気になってしまった。

異界、鬼、竜宮城、というモチーフから、神隠しという社会的装置によって不問に付されていたものを探っている。

怪異を面白がるだけではなくそこから負の社会構造へと踏み分けようとするには、ちょっと分量が少なかったのかも知れない。

きちんとした研究があるのか調べてはいないが、この本でも少しだけ触れている人身売買ネットワークの発達と産業化が何か関係があるような気がする。

近世以降、近代、現代に至って、神隠しが語られなくなるにつれて、神隠しが隠蔽していたものが何に変って行ったのか気になる。

その社会から外れるものを、「神隠し」という口当たりの良い嘘のヴェールで被ってしまうこと、それも社会の一部であり手慣れたやり方であったろう。

口減らし、村八分、人身売買、などなど、公式な記録に残せない村落社会の掟みたいなものの残滓がそこにはあるという示唆が、この本の肝なのかもしれない。

そしてそれは都市化された社会の中にも残っているはずで、新たな掟と嘘が生まれているような気がする。