たぶんこの本を読んだのは、高校生の時だ。
昭和59年の初版である。
確か家の近所の小さな本屋で買ったのだと思う。
古本屋で見つけた珍しい本を紹介していくというスタイルで、サブカル的な話題を回していく。
軽く読めるが、シュルレアリスムやドゥルーズに触れている箇所もあり、寺山修司の炯眼が伺える。
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この本は誰に薦められたのか忘れてしまった。
西洋文化におけるエッセイの源流の一つとして位置づけられる「モラリア」からの抜粋版である。
日常の様々な疑問にああでもないこうでもないと話を繰り広げる。
古代ローマの思考なので、いまでは良く分からない習慣や非常識な対応もあったりするが、論理的かつ倫理的に会話を進めるのは面白くもある。
科学的じゃないとか、実証されていないとか、そういう問題ではない。
たぶん誰かを理解するとか議論をするトレーニングになるのではないだろうか。
「なぜ女は酒に酔いにくく老人は酔いやすいか」「女の体質は男より冷たいか熱いか」「性交に適したとき」「いわゆる凶眼について」辺りが面白いと思った。
COVID19で外出自粛なので、本を読む。
だいぶ前の再読。
神隠しの物語分析から類型を取り出して、という、一連の思考手続きが気になってしまった。
異界、鬼、竜宮城、というモチーフから、神隠しという社会的装置によって不問に付されていたものを探っている。
怪異を面白がるだけではなくそこから負の社会構造へと踏み分けようとするには、ちょっと分量が少なかったのかも知れない。
きちんとした研究があるのか調べてはいないが、この本でも少しだけ触れている人身売買ネットワークの発達と産業化が何か関係があるような気がする。
近世以降、近代、現代に至って、神隠しが語られなくなるにつれて、神隠しが隠蔽していたものが何に変って行ったのか気になる。
その社会から外れるものを、「神隠し」という口当たりの良い嘘のヴェールで被ってしまうこと、それも社会の一部であり手慣れたやり方であったろう。
口減らし、村八分、人身売買、などなど、公式な記録に残せない村落社会の掟みたいなものの残滓がそこにはあるという示唆が、この本の肝なのかもしれない。
そしてそれは都市化された社会の中にも残っているはずで、新たな掟と嘘が生まれているような気がする。