図書館で読む本を探していて、ちょっと読んでみようかと手に取った。
名前も知っているし、子供向けの絵本を何冊か試し読みをしたこともあるが、ちゃんと読んだのは初めてである。
いまさら説明の必要も無いと思うが、絵本作家であり、エッセイストといって良いのだろう。
この本は、著者が書き貯めているメモを公開している。
ちょっとクスッとするようなものや、なるほどなぁといったものなど、小ネタが50編ほど収録されている。
軽く読み終える一冊であった。
- 価格: 1100 円
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図書館で読む本を探していて、ちょっと読んでみようかと手に取った。
名前も知っているし、子供向けの絵本を何冊か試し読みをしたこともあるが、ちゃんと読んだのは初めてである。
いまさら説明の必要も無いと思うが、絵本作家であり、エッセイストといって良いのだろう。
この本は、著者が書き貯めているメモを公開している。
ちょっとクスッとするようなものや、なるほどなぁといったものなど、小ネタが50編ほど収録されている。
軽く読み終える一冊であった。
久しぶりに島田雅彦の「優しいサヨクのための嬉遊曲」が読みたくなって、家の本棚を探したけれど見当たらず、図書館に探しに行っても見当たらず、だったら最近の著作でも読んでみようと思って借りた。
舞台は近未来の日本と思われる国で、AIが人類を管理している。
そこでは人類は遺伝子によって「統治者」「守護者」「学者」「奉仕者」そしてそれらに分類されない「異端」に分けられ、「異端」は社会から排除され開拓地へを追いやられる。
「異端」であることを宣告された主人公と、AI搭載のロボットであるゴーレム3との対話から物語が始まる。
ここで物語の粗筋を書いてしまうと、この物語の半分以上を語ってしまうことになるのでこれ以上は書かない。
物語の要素としては、AI、量子、自由といったものが挙げられる。
舞台設定、世界観、主人公の背景など、説明を重ねたうえで物語が始まるが、あっさりと終わってしまう。
そして、この本には物語をベースにしたオペラの台本が収録されている。
これは小説として表現したいものではなく、オペラとして表現したいものなのかもしれない。
だが、最初から小説であることを志向していたのか、小説では表現しきれなくなってオペラに移行したのか、読了しても何だか収まりが悪い。
何となく図書館で手に取ってみた。
定年という区切りがだんだん見えてきたのもあるし、世間的にも起業ブームがあると思うので、ちょっと知識を仕入れておくのも悪くないと思っている。
実際に起業するかどうかはまた別の話として、起業するためのポイントを知ることができた。
なるほどと思うポイントもあれば、ちょっと時代遅れな考えもある。
何もしない、ということを主張する、というのはある種の皮肉めいたものだと本の始まりの方で著者も述べているが、「何もしない」ということを額面通りに、というか、自分の基準で受け取ってはいけない。
著者はアメリカのアクティビスト、ってことは活動家のようだ。
そういや偽名で入院してた70'sの日本の活動家が、本名を告白して逝去したニュースが最近あったっけ。
そんなことはともかく、どこかで勧められたので読んでみた。
あてにならないことで有名な某大手ECサイトのレビューで一つ星があるらしいので楽しみにしていた。
率直に言って読みやすい本ではない。
これだから活動家って奴は、とちょっとだけ思いながら読み進めて、読みにくいながらも言わんとすることが少しづつ分かってくると、なるほどと思うところはある。
まずは、アテンション・エコノミー、注意経済に対する抵抗がある。
SNSは際限なく時間を奪っていくことで成り立つ世界であり、垂れ流される大量の無関係な情報をスクロールさせている。
デジタルデトックスの話から、現実に対する解像度が上がる話が出てきたかと思うと、ヒッピーコミューンが挫折した話に移る。
ここではない別のコミュニティを夢想することは、絶対的な権力者と従順なメンバーに行きつくという分析が、皮肉めいた調子で語られる。
こんな調子でこの本の解説をしていくのは本意ではないので、いったん止めるが、読みにくさの原因は、著者の思考の流れで書かれた随筆だという点であるように思った。
主張したいことに対して、論理的には書かれていない。
こういうことがあってこう思っている、こう思うことはこういうことでもあり、またこういう意味もある、といった調子に、曲がりくねった一本道を歩くような本である。
全てに同意できるものではないが、アテンション・エコノミーに対する抵抗というのは、心に留めておいた方が良いと思った。
言うまでも無く人生は有限であり、残された時間の長短はあれ無限ではないのだから、無駄な情報をスクロールしてもそこには有益なものなど皆無だし、分かりやすコンテキストには気を付けた方が良い。
向田邦子氏は親戚の叔母さんのような印象がある。
実際、自分の親たちと生年が近く、東京生まれではあるけれど、それだけではないような気がしている。
この本は、生前に週刊文春で連載されていた「女の人差し指」を中心に、未刊行だったエッセイを集めた本らしい。
台湾での航空事故で急逝されたニュースは朧げに記憶している。
様々な短いエッセイの寄せ集めながら、ここには向田邦子氏の姿が浮かび上がるようだ。
その具体的なイメージが親戚の叔母さんなのだ。
そんなに親しくは無いけれど、何年かに一度は会うし、会ったら自分の親とは違う、でもどことなく親たちと似たものの見方の話をする、そんな人だ。
前にも書いたと思うが、若い頃には向田邦子氏の文章の良さが分からなかった。
年を取ってから分かるものの一つだと思っている。