雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

よりぬきサザエさん/長谷川町子

流石に朝日文庫版全45巻を一気読みする訳にはいかない。
だが、これであれば、読みたいときにスッと読める。
やはり、サザエさん的なるものは確かに存在する。
もし存在しないのであれば、日曜の夕方のTV版がそんなに続くはずが無い。
原作とTVとは、殆ど異なるものではあるけれど、それでも共通するものがある。
それは、薄気味の悪い昭和的なるものへのノスタルジーとは異なる。
だいいち、サザエさんをリアルタイムで読んではいない。
だから、時事ネタの笑いはいまひとつ判らない。
しかし思うに、長谷川町子氏の笑いに対するセンスが、およそ普遍的なものに到達しているのではないだろうか。
笑いの構造の中に、武道における型のようなものがあって、サザエさんにおける笑いは、その型に忠実なのだろう。
およそ、笑いの構造なるものは、この数千年、そう変化していないのではないかと思っている。
そうでなければ、古典ギリシャシェイクスピアの喜劇を見ることなんてできないだろう。
ましてや、落語や漫才に笑うことができるのも、それが故だと考えられる。
サザエさん的なるもののひとつは、そうした普遍的な笑いの型なのだと考える。
他にもサザエさん的なるものとしては、ホームドラマということがあるのではないか。
全員が勢ぞろいして何かを繰り広げているわけでもないけれど、それぞれのキャラクターの組み合わせの妙が、ひとつの家庭の中で実現できてしまう。
そしてそれらは、家庭内の些細な出来事なのである。
サザエさんにおける世界は、家庭の中に内包されている。
この世界で起こりうる全てのことは、サザエさんの家で起こっている。
サザエさん的なるものについては興味が尽きない。
いずれまた考えることとしよう。

よりぬきサザエさん―カラー版 (朝日文庫)

よりぬきサザエさん―カラー版 (朝日文庫)