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雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

ダダ 前衛芸術の誕生/マルク・ダシー

ダダは何となく通過した。
トリスタン・ツァラハンス・アルプ、クルト・シュビッタース、フランシス・ピカビアといった名前ぐらいは知っている。
だが、あまり興味を引かなかった。
とは言え、若き日の赤瀬川原平が活動していたハイレッドセンターのネオ・ダダには興味があった。
マン・レイマルセル・デュシャンマックス・エルンストといった辺りは、シュルレアリスムと被るので知っている。
改めてダダとは何だったのか、を確認しようと思った。
そうして読んでみると、シュルレアリスムよりダダの方が面白い。
とは言え、この場合のシュルレアリスムとは「アンドレ・ブルトンシュルレアリスム」と言った方が良いだろう。
ダダは自由であり、シュルレアリスム神秘主義なのだ。


ダダ―前衛芸術(アヴァンギャルド)の誕生 (「知の再発見」双書)

ダダ―前衛芸術(アヴァンギャルド)の誕生 (「知の再発見」双書)


既存の美術に対する異議申し立てが、ダダなのだと思った。
美しいものとは何か、芸術とは何かへの問いかけであり、現代美術のスタートであろう。
当然ながら、ダダによる異議申し立てが無ければ、シュルレアリスムは存在し得ない。
ダダは異議申し立てを行ったが、シュルレアリスムは別の文脈を提示したと思う。
無意識や夢という文脈を挿入するで、いま見えている現実を塗り変えてしまうことが、シュルレアリスムなのだと思う。
眼に見えるものが唯一のものではない、という文脈は、神秘主義との相似形だろう。
惜しむらくはブルトン教条主義的な宣言と除名の繰り返しは唯一にして最大の汚点だろうと思う。