雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

詩という仕事について/ホルヘ・ルイス・ボルヘス

この本はボルヘスが1967年に行った講義録である。
テーマは、詩をめぐる
 ・詩という謎
 ・隠喩
 ・物語り
 ・言葉の調べと翻訳
 ・思考と詩
 ・詩人の信条
という6つである。
この中で、ボルヘスは韻文は散文に先行する、と述べている。
感覚的には、散文を形式化した韻文が派生すると考えてしまいがちだが、たった一行の韻律に籠められた言葉の響きに甘んじてしまえば、その後に言葉を紡ぎ出すことは楽になるという。
なるほど、日本の短歌、俳句といった詩歌のように、型のある詩歌の方が、散文詩に比べて詩情を汲み出すのは比較的容易かもしれない。
もうひとつ、作品にとって読者は架空であり、作者もまた架空である、と。
何かを表現し尽くそうとしても、読み手に何かを暗示し想像させることでしかないのだと言う。
ボルヘスの言葉を引き取って何か言うとしたら、詩とはつまりそれ自体が完結した世界であり、それを完成されるための手伝いをすることが、詩を書くということなのかも知れない、そう思った。

詩という仕事について (岩波文庫)

詩という仕事について (岩波文庫)

いや、詩を書くことだけではなく、人が発する言葉すべてについて、それは暗示なのだと。
「ワタシ」についての何かを表すのではなく、何かについて仄めかし、それが共有されることで姿を現すようなものなのではないだろうか。
こうして何かを書き連ねている「ワタシ」も架空であり、これらの架空の言葉も誰かに読まれることでようやく何を書いているのか判ることになるのだろう。