雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

一〇一年目の孤独/高橋源一郎

高橋源一郎を知ったのは、高校生の頃。

「さようなら、ギャングたち」と、あと何冊かを読んだ記憶がある。

80'sの頃は、こういう小説が新しくて、なんだかすごいと思っていたのだ。

10代から20代の頃の価値判断なんてそんなもので、浅はかな知識と思考で選択をしてしまいがちなのだと思う。

だがそれだって限られた友達たちの狭い世界から外へ出ていくためには致し方ないことで、結果的には失敗するかもしれないし成功するかもしれないが、それはどっちでも良いことなのだと今になって思うので、あの頃の自分に何か言ってやる機会があったとしても何も言う必要はないのだと思っている。

その証拠にこうして何十年ぶりかで高橋源一郎の本を手に取ることができている。

この本も図書館で借りた。

これは小説ではなく、どちらかというと社会の傍流で生きる人々を取り上げる随筆である。

ノンフィクション、という言葉と、ルポルタージュ、という言葉、どれがふさわしいかと考えたが、ここではあえて随筆と言っておく。

書かれたのは2012年以降、取り上げているのはダウン症の子供たちのアトリエ、身体障害者たちの劇団、ダッチワイフ工房、電気を使わないで暮らす人、授業のない学校、尾道、子供向けのホスピス、といった内容だ。

副題が「希望の場所を求めて」とあるよう、これは3.11とその後の社会に対するアンサーなのだろう。

だから、何かを調べる、隠れた真実を描き出す、といったノンフィクションやルポルタージュという言葉から連想するような内容ではなく、高橋源一郎という小説家の随筆なのだと思う。

この本は、取り上げている人々に寄り添うような文章であることに魅力を覚えた。