雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

もの思う葦/太宰治

何となく図書館で手に取ってみた。

橋本治氏からの太宰治氏、という訳でもない。

そんな駄洒落で読む本を選んでいたとしたら、それはそれでちょっと自分を見直したい。

恐らく生涯で読む太宰治の5冊目ぐらいの感じだと思う。

あまり好きではないどころか、ほぼ読んだことが無い。

小説を数冊読んだだけで、太宰治の何かが分かっている訳も無く、教養としての読書という経験でしかないだろう。

それで随筆に手を出すというのは無謀であり、無茶ではある。

そして案の定、この本に何か思い入れることはできないのだった。

たぶん太宰治の熱心な読者に向いた本であり、そうでない読者には冷やかしにしかならない、という類なのではないだろうか。

そういった文脈であれば、オタク的な文脈で眺めることも可能かもしれないけれど、太宰治に対する批評的な観点すら無いので、この本を理解することは難しい。