雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

経済人類学/栗本慎一郎

久しぶりに栗本慎一郎氏の本が読みたくなって引っ張り出してみる。
経済人類学とは何か、という現状のまとめから、その展開する先まで言及した、コンパクトながら読み応えのある本だ。
栗本氏によって、高らかに経済人類学が宣言される、そんな感じさえする。
一口に経済人類学といっても、諸派が存在しその中でも、栗本氏はハンガリーのカール・ポランニーの流れを汲んでいるため、主にポランニーの理論を中心に、経済人類学の概要が語られる。
その内容をここに要約するのは、無茶な試みであり、とても手に負えるものではない。
重要なテーマとして取り上げられるものをいくつか挙げるとするなら、例えば、貨幣というものの持つシンボリズムであるとか、非市場経済の分析であるとか、大学の経済原論で習うような、経済の諸概念は必ずしも一般的、普遍的なものではなく、市場経済社会という特殊な状況を前提とした概念であることが語られる。
だが、市場経済が特殊だとか、非市場経済が普遍的であるとか、そういった対立項での議論ではない。
経済活動そのものが、社会における一機能のみならず、人類学的な意味を持つ現象であり、私達はどこから来たのかという問いに答えるひとつの通路なのだろう。
ポランニーの理論の紹介のみならず、経済人類学が意味する深層知や聖俗理論への示唆なども含まれており、その後の栗本氏の活動の萌芽が見て取れる。


経済人類学

経済人類学


栗本氏を初めて知ったのは、雑誌「ビックリハウス」だったように記憶している。
その後、栗本氏は国会議員になり、脳梗塞で倒れ、今では健康食品も売っているようだ。
「パンツを脱いだサル」などに登場するドーパミンやレトロウィルスの話あたりから、徐々に読まなくなっていった。
「意味と生命」あたりでは、存在=波動といった超々統一理論なるものを目指していたように記憶しているが、それがどうして必要なのか、その理論と自民党へ入党などの政治活動の関連もよく判らなかった。
だが、少なくともこの本での栗本氏と、引っさげてきた理論は、キラキラと輝いている。
そしていつしか、また手に取りたくなるような著作を、栗本氏には発表して欲しいと思っている。