前にも書いた気がするが、私は名作と言われる作品をあまり読んでいない。
濫読の偏読では無教養といわれても仕方ないので、たまには名作を読んでみようかという気になる。
もちろん読んだからといって、無教養が解消する訳ではない。
ということで、森鴎外の高瀬舟である。
漱石か鴎外かと言われれば、何となく漱石を選んでしまっていたのだが、鴎外を無視していたわけでもない。
居住まいを正して読んでみると、これがなかなか味わい深い。
あまりにも有名な作品だから、粗筋なんか書く必要も無いだろう。
やはり意識のどこかで漱石と比べてしまうのだけれど、共通するのは近代的なるものではないか、と思った。
漱石は近代的なるものに抑圧された明治に生きる人の心情を描くのだが、鴎外は近代的なるもので前近代を解釈しているように思った。
どちらかと言うと、漱石の方が分り易い。
鴎外の近代からの視線には感情が無い。
高瀬舟に乗せられて行く罪人に同情するでもなく、運ぶ役人に何かを語らせようとしているのでもないだろう。
流れる舟に時代の流れを重ね合わせている、なんていうのは穿ち過ぎた言い草だ。
ただの視線がそこにはあって、視線だけであるが故に普遍的なところへ辿り着いているように思った。
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