雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

湾岸道路/片岡義男

とても奇妙な物語だ。

主人公は美人だが金銭感覚の無い妻と、スポーツジムのインストラクターでカッコイイ事が判断基準の夫、という組み合わせだ。

まず目につくのは、二人共、会話が恐ろしく短い。

ほとんど単語で会話をして、自分語りなどしない。

だが、互いに互いのことを讃えている。

夫は妻を美人だ、格好良いと言い、妻は夫を良いと言う。

しかし、それは理解し合っているのかどうか、良く判らない。

そもそも理解し合う必要があるのかも良く判らない。

妻の金銭感覚の無さも病的だが、夫の格好良さへのこだわりも病的ではあるのだが、では病的ではないこの夫婦の姿というのは想像がつかない。

妻の金銭感覚は補正されること無く、水商売に出かけ、やがて体を売ってお金を手に入れるようになる。

だが夫はそれをも容認、というか褒め称える。

そしてクライマックスで、夫は格好良いからと離婚を申し出る。

別れの日、湾岸道路まで妻をバイクの後ろに乗せて行き、独りで去ってしまう。

残された妻は、夫の行動をトレースするかのように、ボディビルを始め、夫の実家を訪れ、バイクに乗り、湾岸道路へ向かう。

この物語は何の物語なのか。

自分語りも、トリックも、観念も、幻想も無い。

記号と注釈に物語を籠めた田中康夫の「なんとなくクリスタル」を思い出したが、それとも違う。

ネットで感想をいくつか見てみるが、なんともしっくりこない。

そもそもこの小説の評価が低いのは、解らないからではないだろうか。

おそらく、時代的な文脈の中で理解し得るものが、文脈を失ってしまったのかもしれない。

だが、最後に延々と続く湾岸道路の描写は、夏の夕暮れに湾岸道路をバイクで走ったことのある人間なら、理解できるだろう。

そしてそれが、この物語の中心だったのだと解る。

 

湾岸道路 (角川文庫 (5682))

湾岸道路 (角川文庫 (5682))