スマートウォッチがリアルタイムに人体の情報を収集し、クラウド上に集積して、AIが夕飯のオススメをプッシュ通知で知らせる、というのは既に現実である。
システムに接続すると健康が維持される世界は、徐々に現実に近づいている。
フーコーが告発した生権力が支配している社会は、反対意見もなく広がっていく。
この本の舞台になっている世界は、現実と地続きの風景であるため、そこで起こる事件はとてもグロテスクでリアルに見える。
作者が明日にでも起こりうるかもしれない未来を描いたのか、現実とテクノロジーがSFの想像力に追いついたのか解らない。
しかし、この本は「わたし」に関する考察でもある。
それぞれの「わたし」がいる限り、世界には平和もなく汚れている、と考えるのはカルト的発想に他ならないと思うが、それが本当に選択され得るのか、という思考実験でもあると思った。
最悪の結果があるならあいつはそれを選ぶだろう、という、まるでマーフィーの法則のように物語は転がっていく。
だが、物語が終わっても、その世界が終わらない、というのが、このデストピアの特色でもあり、現実に進行している世界なのだろう。